お忙しい中、ご協力ありがとうございました。
あと、小学生との会を残すだけとなりました。
各地でたくさんの話を聞くことができました。
今日行った高校生との懇談を終えた段階で、スタッフ側の力不足をいやというほど感じています。
子どもたちの輝きをサポ-トするための、今後のしなキャンの歩みをどうしていったらよいのか、わからず混沌としているのが今の本当のところです。
これから何度か高校生たちと話しながら、彼らの思いをしなキャンを動かすエネルギ-にしていきたいです。
親だから、大人だから、子どもだから という枠組みを超えて本当のところで皆がぶつかってみることは、必要なのではないだろうか。自分の弱さやどうにもならないものをさらけ出す場が必要なのではないだろうか。
そういう漠然とした思いとともに、今後を見つめていきたいです。
どうかご意見お寄せください。
以前の事なのですが、子どもが前期の試験で不合格を頂いた時の自分のことが頭を過ぎりました。
合格でも、不合格でもどちらでもいい・・・どちらにしても勉強であるのだから・・・と思っていた私ですが、いざ不合格という言葉を聞いた瞬間から、何とも言えない不安が自分のなかに込み上げてくるのを感じました。
数日、自分のなかに暗い感情があり、言葉では明るく会話していても、子どもには私の感情がすぐに伝わります。
「ぼくは気にしてないのに、気にしているのは母さんだよ」と言われたりしました。
試験の結果から、子どもを見ている自分がいたのです。
まるで「今までの結果」のように混同したり、混乱していました。
私は、どこから何を見ているのだろう・・・と思ったとき、そんな時、・・・羊学級のことに心が導かれていきました。
羊学級での三年間・・・・子ども達が育った羊学級・・・その時の子どもの姿、みんな、先生とみんな、羊学級の姿が、今の子どもの背中から感じられたのです。
私は何を見ていたのだろう・・・
私は子ども達の足元にも及ばない・・・・。
私は試験の結果から見ていて、子どもの道をふさいでいるのと同じ事をしていたと恥ずかしくなりました。
この時の不合格も、様々な思いと同じように、子どもにとって、かけがえのない大切なプロセスなのだと気がつきました。
そして、子どもを真っ白な自分になって見てみると、人生には、合格も不合格も無いと教えられ・・・子どもは、この日の出来事も背中に背負い、やっかいな母親の感情も見透かしながらも、前を向いて、自分を生きています。私はまたもや教わる事ばかりです。
5日のしなキャンで先生が「自分って一体何なんだろう」って考えることをおっしゃいました。
羊学級でも全校で集ったり、羊たち、みんなと向き合って話したり・・・。
苦しみ、悲しみ、奥深い感情も乗りこえながら、みんなと向き合うことで、自分と向き合っていた・・・子ども達の姿がありました。
31日、北長野教室でみんなと会うために出かけた子どもを見送りながら、後ろ姿が当時とだぶりました。
(前述の私のような)大人の感情や思惑のなかで一人、動きがとれなくて、分からなくなることもあるのではないでしょうか。
そんな時、仲間のみんなのなかで、一体自分って何なんだろうと・・・自分と向き合う時間も、本当に大切なような気がします。
大人の自分でも自分って何なのか分かっていません。
皆さんや家族や世界・・色々なことから教わることばかりです。
集える仲間、場があること・・・本当にありがとうございます。
今回初めて会った高校生、保護者のかたも多く、もっと自分から話せばよかったと反省しています。学校、学年が違っても田中先生に学んだ2年、3年間があってこうしてまた会えるってすごいですよね。みんなあの時の笑顔のままで。子供たちの方が自分よりよっぽどわかってるし、逆に教えてもらうほうが多いしなキャンなので、高校生中心に自分たちの思いをしなキャンにしていけたら、大人はそれについていけばいいのでしょうか。大人子供関係なく一緒に本気で考え、ぶつかり、悩み、楽しむことが大切なのかな?しなキャンで何かを与えてもらうのではなく、自分のために自分でなにかを見つけていこうとする気持ちが一番大切なのかな?あれこれいろんなことをするのではなくてとことんこだわることもいいのかな?全然まとまらなくてごめんなさい。でもしなキャンでそれぞれの人が自分の中になにかを感じ、またその次につなげていると感じています。
家で高校生のお話もすごかったみたい!と言うと、ayaはとても嬉しそうでした。「お母さん会社に行く時、RちゃんやTくん見ないの?」と聞いてきます。すごいよね。かっこいいよね。と、羊学級の高校生に憧れているんだと言います。みんなそれぞれの生活があるんだけど、田中先生に学んだ時間があるから、分かってもらえたり、認めてもらえたり・・・だからなかなか言えないことも、Rちゃんにぼそぼそと言えたこともあるのかなあ。と思います。甘えた言い方でごめんなさい。