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大人も子どもも本音で語るキャンパス
私たちにとってのしなのキャンパスってなんだろう?」7月14日 6年生との懇談会II
Categories: meeting Posted by:kpd

1回の話し合いでは時間が足りない、いい足りないという小学生の声を受けて、2回目の話し合いが先日7月14日に行われました。
記録:
詳細はこちらをご覧ください。(しなのキャンパス懇談会IIの記録)

5 Comments to “私たちにとってのしなのキャンパスってなんだろう?」7月14日 6年生との懇談会II”

  1. yumi kitajima より:

    とって付けや、お茶を濁すようなことは子どもらに受け入れられないのだと実感。
    しなキャンにかかわる人間がとことんマジで討論する場、提供したいです。

  2. yukie.h より:

    みんなの顔があっという間に、田中学級の顔に戻る。話し方も内容もそう。
    あ~子供たちの中には、こんなにもアノ時間が染み込んでいたんだなぁ。
    と実感する。
    『困難を乗り越えるから喜びが味わえる。』
    今の自分には厳しい言葉だなぁ。
    子供の方が逞しい。
    そんなことを考えながら、学びながら・・
    私もあの時間を過ごしていました。

  3. mika.k より:

    とって付けやお茶を濁すような事は子供たちには受け入れられない。ほんとにそう感じたのはしなキャン子ども会の話し合いを聞いていた時、そしてリトミッククラブの子供たちを目の当たりにした時。その場にいるのが恥ずかしくなって逃げ出したくなった。苦労を克服して乗り越えるべきなのはむしろ大人、自分なんだと。いつも逃げ道を探したり楽な道を選ぼうとしていて子供にもそうさせてやろうなんてくだらないことを考えている。私にはまだまだ先が長いですが逃げるのはやめようと思います。

  4. tae より:

    私も、すぐ逃げ出したくなってしまいます。でも、逃げてばかりは、もう、よくよく嫌になってきて、逃げずにがんばろう!と元気をいただいてます!!
    中学生になった子どもたちと話すとき、ドキドキします。私の中途半端さが見透かされているような気がして、「本音で話してくれるかなあ・・?」と不安になったり。それは、相手の問題じゃなくて、自分がどれだけ本音で正直に向き合えるか。問題はいつも自分の中にあるんだなあ。と感じています。
    中学2年生になった探検隊セブン、眩しいです。
    パントマイムに向っていた日々が、今も毎日影響していると言います。Hさんの言葉にガツ―ん「自分たちは本気でやっているつもりなんだけど、見ている人には本気が伝わらなかったから、口で言うより身体を動かした方が伝わるんじゃないかと思う」

  5. kin より:

    友達、田中先生と出逢い、学級を育てながら、学んだ・・・生きること・・・。それは、毎日毎日の生活の一歩一歩に中身があって、自分に繋がっていて、自分を育てていく姿でもあったということ・・・改めて子ども達の話しから気づかせていただきます。
    「今、飼育委員だけど、いろんな学年の子がいて、いろんな意見を聞けて・・・」
    「お世話が好きそうじゃない人が意外と面倒見のいいところを発見した・・」
    生活の中の機微とした一歩の瞬間を感じます。
    些細な人の言葉、仕草も聞きながら、・・自分に繋がって向き合っていく、小さな一歩が自分を育てる大事な一歩となって、生きる力が互いに通い合っていく・・・。息遣い感じます。
    「ダンボールで寝床作ったのが凄く楽しかった、思ったより大変で・・・」
    「大変な道とか登って、仲良くなれたらいいな・・」・・・
    子ども達のなかにある喜びって、生きることに繋がっている・・。
    子ども達の学びたい喜びって、その一歩一歩が地味でめんどくさいし、自分に繋げるって、未知で・・テストの答えや指南みたいな明快な事は見えないし、味わったことのない苦さも味わうことになりかねない・・・。
    目の前に道はないように見えるのに、どうしてこの子ども達には歩んでいる道が感じられるのだろう・・・。
    本当の道って、行き先も生き方も看板のように掲げられた目に見える道のことではなくて、道無き道を歩む、生きることをいうのだと、子ども達は教えてくれます。
    迷ったりして、石や岩にぶつかって転んだりの困難で険しいなかで、友と繋がりながら自分で道を創って開拓して歩んでいくこと・・・そこでの苦かったりしぶかったり、様々な味わいも又、大事な一歩。小さな喜びも又、大事な一歩。
    小さな一歩が本物の自分だから、一歩一歩繋がって出来る途は本物・・・・。
    子ども達の姿・・・ずっと心に響いています。
    見える道を見ていたのでは、見えなかった、生きること・・・その意味が自分に問いかけるようにずっと響いています。

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