日々のリトミックの中で

yumi | member, yumi
12 6月 2013

月曜日の高島小、火曜日の栗ヶ丘幼稚園のお母さんたち、今日井上小と、リトミックを一緒にやって行く中で、思うことがあります。

楽しいと思えることと、呼んで下さってありがとうございますと言う事。

今日井上小の先生方とリトミックをしたあと、専科の理恵先生から、先生方の声をお聞きしました。

「もっとやりたかった」「幸せな時間だった」「楽しかった」

嬉しい限りです。リトミックの持つ力を改めて実感します。

6 Comments

  1. mika より:

    毎日本当にお疲れ様です。
    まず先生方そう思えることがなにより  それが子供たちにきっと伝わっていくんですよね。

    最近こんなことがありました。
    遊戯室にいた8か月A君と1歳のB君二人
    お互い目があった瞬間顔いっぱいの笑顔になった
    B君が走り出すとA君がはいはいで追いかける

    ピアノのいすをたたき始めるとまた一人もたたいて太鼓のリズムができる
    いすの下のもぐってトンネルごっこ 顔だけかくしてかくれんぼ
    いないいないばあ~

    どんどんいろんな世界が広がっていく その喜びが倍になっていく

    相手を感じる その動きに瞬間に反応 それが楽しくなる、うれしくなる・・・

    「幼い子供は見込みを立てては動かない。動いてみてやってみて面白みや理を発見していく・・・」
    信濃教育5月号にちょうどそんなことがかいてありました。
    ありがとうございました。

    これがリトミックなんだ この2人の男の子に原点を教えてもらった気がしています。
    「学びのゆくえ」もう一度読み返してみたらまた違ったことが見えてくるかもしれない

    子供を見る、子供から学ぶ
    「じゃあ明日からそうします」ということじゃない
    自分はそれができているのか

    信濃教育読んでそう考えました。

  2. tae より:

    先日体験をお願いした、Sさんが楽しかった!!と言ってます。同じ年頃の子どもたちやお母さん方からも学べたし、由美先生が晴を誉めてくれて嬉しかったし、リトミックって、一歳の集まりでこんなにいろんなこと出来て楽しかった。と言っていました。Sくんは、お母さんが厳しくて、自分は型にはめられて育って来たから、晴にはそんな思いをさせたくない。でも、育ったようにしか自分の子どもにも接することが出来ないと前は悩んでました。Sくんの中に何か生まれたみたいです、

    日曜日の反省会でのノートをみながら、子どもたちの顔がたくさん浮かんできます。キラキラした目がこちらを向くと、どうしてもドキドキして、右往左往してばっかりです。子どもたちにはどうやってもかなわないです。子どもたちが教えてくれるたくさんこと、逃さないように。と願いながらいます。

  3. yumi より:

    今日芋井を見学したNさんが、「百聞は一見にしかずですね」とメールくれました。年2回なのですが芋井の保育園の子どもたちの変化を感じます。ベビーで来ていた子が園にあがり、お母さんたちの顔を見て「ああ、お久しぶりです」となり。少しずつの積み重ねなのですね。
    明日は木島平おひさま保育園です。
    「りとみっくばばあ」3名、参上するからね。

  4. TAKA より:

    暑い中、本当に日々お疲れ様です。

    私、全然出来ないけれど、いや、出来ないからか?本当にリトミックは楽しいです。心が軽くなり、自然と笑顔になって・・・
    そして子どもたちの笑顔をみさせていただける         凄く幸せな気持ちになります。
    いつもありがとうございます。

    この間の日曜日、平林地区の運動会(田休みの運動会)があり参加しました。
    運動会をしながら思いました。
    心で感じて体を動かす、 これってリトミックだなーと思いました。
    バトンの受け渡しひとつとってみても、言葉はないけれど相手の思いが伝わってきて、その思いを次の人に伝えて・・・

    縄跳びとびながらグランドを走る時も、一輪車にボールを載せて走る時も、リズムに合わせて走ると楽しいし、すごく速く走れることに気付きました。
    なんだかリトミックをしているみたいで楽しかったです。
    運動会の後、みんなで笑顔でいただいたビールと豚汁も最高においしかったです。

    あたりまえだけれど、いろいろな人やものに支えられていること、ひとりではないこと、いつもリトミックで感じさせていただいています。

  5. kin より:

    リトミック、いつもありがとうございます。
    この頃、リトミックから、あいだ(間)と言うこと思います。
    私、きっと、由美先生、田中先生、皆さんに出会わなかったら、自分勝手のままで、物事の捉えも自分勝手のまま何にも気づかずに通り過ぎていたって思います。
    リトミック、みんなと手を合わせたり、歩いたりさせていただくと、自分とか大人とか知らず知らず輪郭線引いているちっぽけな自分が、それどころではなくなって、小さな自分の範疇から、ふっとほんの少しでも、ステップ出来たとき、そこは間と言うことなんでしょうか、嬉しく感動いっぱいで感謝でいっぱいになります。
    音も、気づかずに通り過ぎていると言うこと思います。
    まだドも分からないで恥ずかしいのですが、
    楽器と子ども達の手やスティックを持つ手、ピアノと先生の手、間の音が響いて繋がって、今だけの音で、みんなで響いていて、感動いっぱいで、私あこがれます。
    私、例えばばあちゃん、じいちゃんに「もう少し食事も早くして欲しいな」なんて思うことあるけれど、リトミックでそれぞれの歌の基調となるリズムと言うこと教えていただいてから、リズムと思うと、ゆっくり、ゆっくり自分の一歩なんだって思い気にならなくなりました。
    リトミック、皆さん、感謝でいっぱいです。いつもありがとうございます。
    お借りして読ませていただいている本、今は闇のダイヤモンドです。いつもありがとうございます。
    ジャレッドの目線で描かれていて、また引き込まれています。
    いつもありがとうございます。

  6. tae より:

    私も、リトミックの時のお話や、先日頂いた信濃教育を読むことが、心のよりどころとなっています。
    彩も翔ももう少しで部活が終わるところまで来て、だいぶ変なテンションです。翔、だいぶ苦しそうです。私は正直なところ、そんな様子を見て心配してます。でも、リトミックでのお話や信濃教育の本を読むにつれ、ああ、好きだから、やりたいから、苦しくてもその場にいるんだ。(体育科のきまりで)部活止めればそのまま退学だから、やだくても仕方なく部活やっているわけじゃない。誰かのためにやっているわけでもない。好きだからやってる。好きな事をするための苦労なんだ。だから、そこんところを応援しようと思えてきました。

    これを部活のお母さんに話すと、「でもさ、ヒット打ったとか、三振いっぱいとったとか、試合でいっぱい使ってもらったとか、なにか、報われることがないと、次への力が湧いてこなくない?」とかえってきます。確かに、それが翔の元気がない原因だろうと思います。野球のことは翔がチームの中で仲間や監督さんと関わらせてもらう中で自分で乗り越えるしかない。私はただ、根っこにある好きという気持ち、やりたいって気持ちを信じてます。高3の息子に余計な事言えないので、信じるだけです。

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