例えば
yumi | member, yumi21 4月 2016
ハンセン病の方、脳性麻痺でよだれをたらしている方、などなど見た目が少し違う人と握手したり、目をみてあいさつしたり、はぐするのに、正直なところためらいがあるでしょう?部落の人の話を年寄りがするのを、何となく複雑な感情で聞き流したりするでしょう?そういう自分としっかり向き合わなくちゃとずっと思ってきました。「わたしの心のなか」をよんで余計に。子どもたちには、まわりにいろいろな人がいるところで成長してほしいと思います。差別する気持ちは、じゃないととても小さい時からうまれてしまうのだと。新しい学期、新しい子どもたちとの出会いの時期です。ちっともまっさらでない自分の心の汚れをすこしでもきれいにしようと、たまった息を精一杯吐き出す毎日です。
すばらしい問いだと思います。
附属に来て、20日が過ぎました。始業式の挨拶から、日々の先生方への発信から、何が何だかよく分からない毎日です。
学校と家の往復する気力しかない毎日ですが、何とか、身をよじるように動き出したい・・・そのときにふと思ったのです。そうか、ひょっとすると、自分が動き出すときって、自分をさらけ出すところから始まるのかもしれない。鎧や甲を脱ぎ去って、自分を出すところからしか始まらないのではないかと。
身一つでやり直します。
多分ですけど、畔上先生が自分をさらけ出すとしても、それをする側も受け止める側も、なんか違うところで、別世界の事のように思ってしまうんじゃないかな。田中先生ができて、畔上先生がまねできないのは、この事なのかな?と。私たち等身大で生きている仲間が自分をさらけ出すところに大きな共感が生まれるのだと思います。そのままの田中和幸と言う人の生き方を我が身に投影していく、だから附属にどうかもうしばらく棲んでいてください。