父と

yumi | member, yumi
6 12月 2011

「あのさ、習字で書いてほしい字があるんだよ。書ける?筆ペンもってくるね」「なんて書くんだ?」「さっき話したでしょ。知覚動考〜<ともかくうごこう>って」「(筆ペンもちながら)これじゃだめだな」「じゃあさ、持ってくるよ」

などというやり取りがあって、結局半紙と太筆で書き始めた父。2、3枚書いて、それをみながら「だめだな、素人っぽくて」結局30枚以上書いただろうか。

以上が昨夜8時半から10時近くまでの話。今朝母が、「お父さんがね、『由美はちょうしいいなあ。俺に書かせて、それを誰かにくばるらしい。でもあの筆じゃだめだなあ』って。だから筆買いに行くよ。やっと書く気になったみたい。」

沙央里と千恵里がじいちゃんのリハビリには絶対習字と言っていたが、なかなかその気にならずにいた。先日、久々に社協にいって、風ちゃんにあって、ほんの少し書いた。でも続けては難しい。昨日、あまりに長い事書き続ける父に驚いた。そして、身体が覚えていると言う事のすごさを思った。

今日新しい筆を渡した。一目見てほぼ値段をあてた。でも今日は昨日あんまり書いて手が筋肉痛と言う事で、書くのはお休み。

ずっと一緒にいられたらいいのだけれど、そうできない。朝晩の時間できる限り顔を出す。父の納得のいく字が書けたら、皆さんにお渡ししますね。

私はこれでいいと言ったのに、父はそれじゃだめだと言うので。

6 Comments

  1. kazu より:

    できることをする
    震災後,この言葉が頻繁に聞かれる。
    介護の中にも使われているこのたった八文字の言葉。
    この八文字の言葉の傘の中で安穏としている自分はいないか。
    この八文字の言葉の傘の中に逃げ込んでいる自分はいないか。
    いつもそう問いながら,相手との縫い合わせの部分を探りつづけることが「できることをする」の背景なんだろうなあ。

    難しい言葉だなあ。
    椋鳩十という人がこんな一節を書いている。
    「私は小学校時代は作文が丙だった。それが中学2年の時に正木先生という先生に出会った。その先生が「自然の鑑賞」ということを講義してくれたんだが,自然というのは目で見るばかりでなしに心で見るものだと言われるんだね。それで,
    「先生,心で見るってどういうことやるんですか」って聞いたら,「文学者というのはみんなそうしとるんだから」
    「文学者はそうしてるったって実際には先生話が分かりませんわ」って言いますとね。すると,「お前たちの大先輩の小林一茶の俳句などみんなそうなんだ 【馬のへに ふっとばされし ほたるかな】 という句があるが,お前たちにわかりやすく言うと,蛍をそのまま見るんではなしに,夕方薄暗くなったところをポコポコ行くと,プーと馬が1㍍ばかりのおならをする。それに蛍がふうと吹き飛ばされる。こうなるとただ,蛍の光がこうだと言うんでなしに田舎の情景がパアーっと見えてくるだろう。そして肥料のにおいもしてくるだろう。おならのにおいではなく,田舎のにおいがする。こういう具合に心で蛍を見ることだ。心で情景を描きながらみるというのはそういうことだ。…というような話をしてくれましたね。…後略

    同じ星を見るにしても,100年に一度しか出ない星だとしたら,私はその星にどんな想像を思い巡らすだろう…。

    相手に思い巡らせながら背景を想像しながら「できること」を考えていけたらいいなあ。

    まっ,そんな余裕ないか…。

    さて,今日は,一日学校を休んで,おふくろを迎えに行く。
    安定してきたので,退院していいということで,長い入院にならずに帰宅させられそうだ。

  2. yumi より:

    お母さん、よかったです。親だから、子だから様々な感情のやり取りがある。でも、何にもかえられない血のつながりがそこにある。その事実に立ち返る毎日です。
    血のつながりを放棄しては絶対だめだと言う事。

  3. tae より:

    良かったあ。本当に良かったです。
    ブログを読ませていただきながら、ただ、ただ、良かったあ。

    町田さんは、風子さんに元気を注がれたのだと思います。
    退院したら連絡しますね。と、秋からお待ちしていた風子さんからお電話をいただきました。お仕事のお話しかしていないのですが、爽やかなお声で 「心配かけてすみませんでした。元気にしてますので、いつでもお待ちしていますね!」と言ってくださいました。
    (ひとりごとなのですが・・・会社の壁一面をギャラリーのように使えるかなあ・・・と思っています・・・冬の雪の日とか、ソファーや椅子に腰かけて、静かにゆったりと作品を眺める・・・そんなことがしたいなあ・・と)

    農業ルネッサンス、ありがとうございました。
    どきどきしています。
    この前、農協婦人部のTPP勉強会に出たのですが、いつの間にか眠っていました。いつの間にか「アスパラ栽培」の話題になっていたのですが、やっぱり起きられず、今度は、ばあちゃんのアスパラ畑の夢をみていました。草むらの中からアスパラをみつけて、収穫する畑でした。草の青い匂い・ピョンピョン飛び出るいろんな虫・懐かしい空・・・

    「土の力ってものがあるんですよ!」力強い声に、びくっとして目が覚めました。肥料とか、草とか、言い合っています。

    前坂のMさんは、肥料も除草剤もほとんど使わないといいます。
    Sさん「だって、草があると、栄養とられちゃうんじゃないの?虫だってすごいでしょ」
    Mさん「その草を上手く利用するのよ。アブラムシだって、他の虫だって、草が生えていれば、そっちに飛びつくのよ。だから、うちのアスパラにはつかない。だけど、キレイに草刈りしたら、アスパラだけが目立つでしょ。そこに虫がついたら大変なことよ。まあ・・・人から見れば、草ボーボーでみっともない畑ですよね。アスパラのこと考えれば、私は全然気にならないけど。」
    Cさん「Mさん家のアスパラ、太くて、立派なんだあ。私共選所にいるからよく分かる。やっぱり、土がいいんだよ。土づくり、最初の5年くらいに勝負かけるって言ってたもんね。」

    私は、農業のことは、分かりません。だけど、Mさんの潔さに圧倒されて帰ってきました。一番大事にしたいことは何なのか・・・・農業ルネッサンスをよく読ませていただきます。
    ありがとうございます。

  4. mika より:

    田中先生のお母さん、家で年を越せるのですね、良かったです。
    由美先生、農業ルネッサンスありがとうございました。
    ちょうど「人が生きていく力」のブログ読んでからだったので、木村さんのこの言葉が重なりました
    「ぜひ失敗をしてください。そこから得る答えが救いになるからです。失敗がなければ、次の一歩はないと思っています。」
    そして「知覚動考」の4文字
    お父さんの納得のいく仕上がりになるといいですね、是非見せてください。

    ちょうど新聞にこんな記事がありました。
    ダンサーの近藤良平さん
    「体の感覚は頭では覚えられない。言葉で教えて危険を具体的にイメージできる子なんていない。ちょっと痛い目にあってこそわかると思うし、場数の問題もある。そういう経験が少なすぎると、感覚がゆるく、緊張感のない体になってしまう気がします。・・・・子供たちは、すぐにやりたいことを口にし、行動します。一方の大人はいけないと思っているのか、恥ずかしいのか、なかなか言わない。でも背中をおし続けるといってくれるようになる。そうやって体を開き、人との距離を縮めてゆくのです。」
    リトミックといっしょですね。
    中野さんのおばあちゃんの話 決して他人事ではないきがしています。
    ほんとうに言葉では伝えきれないほど気持ちが疲れてしまったり、気の休まるときがないんだなあって。
    でもその分、とも君が怒らずに接してくれてる、ご主人も優しくなった・・・たくさんのこと感じられたり、教えてもらったり、おばあちゃんからいただいてるんですね。
    「いいことわるいこと半分こ」   
    あたりまえの毎日って実はすごくたくさんの偶然の重なりなのかなあ  そう思うこの頃です。

  5. TAKA より:

    介護の話になるといつも思い出すのは父のこと。
    あの時もっとこうすればよかったとか、本当はこうしたほうがよかったのでは?とか・・・・・20数年経った今もいろいろな想いがめぐります。
    でも、あの時父はどう想っていたのだろう、どうしたかったのだろう・・・・・・・

    疲れきって仕事から帰ってきた時、机の上に農業ルネッサンスの封筒が置かれているのがみえ、いっきに疲れがふっ飛びました。
    由美先生、ありがとうございます。
    どうしてもすぐみたくなり、ご飯を食べるのも忘れ、みさせていただきました。

    自然栽培は放任栽培ではない。愛情たっぷりに手をかけてこそ・・・
    化学肥料はすぐに効果が出ます。すぐ効果が出るものは持続しない・・・
    個々が抱え込まないで、みんなで出し合っていけば、必ずそこにいい答えが生まれてくる

    そして
    利益を得るために、どんどん効率を追求してきたことが、とんでもない結果を生み出してきている

    これらのメッセージがなんだか自分はどうなんだと投げかけられている気がして・・・

  6. kin より:

    農業ルネッサンスありがとうございました。
    木村さんと子ども達の出会い・・本当にありがたくって、土の繋がり・・と思うと素晴らしいなと思い、感謝でいっぱいです。
    育てることから、色々な歓びに・・・そんな感動はきっとずっと心を耕していくことだろうと思いました。
    皆さんの言葉が響いています。本当に思いがけない日々の思いがけない半分こです。本当に・・・おばあちゃんにしてあげていると思っていた自分が、本当は色々なことを教えていただいているって、分かってきました。おじいちゃん、父さん、ともと、おばあちゃんのことを話しながら、おばあちゃんと体当たりの日々です。みんなで、おばあちゃんとの自分の経験をそれぞれの考えで話しています。不安ばかりで始まった認知症という言葉との向かい合い。知ることと実際はまた違います。だんだん、行き当たりばったりだけど、今のおばあちゃんとみんなで向かい合っていくしかなくって、今日はおばあちゃんこうだよ、ああだよ、といつの間にかおばあちゃんのことを話ながら、既成概念にとらわれずに関わることを習っていることにも気が付いてきました。私は何も出来ていないので、心配してくださっていて、近所の方もご自分の経験を話しかけてくれます。近所みんなで見ていこうねと言ってくれて、本当に感謝でいっぱいです。リトミックのおかげさまです。皆さんから学ばせていただいていることがどんなにありがたいか、今、本当に実感している日々です。この間の木島平小の子ども達の合唱の時も思い出します。
    先日のリトミックの神経衰弱も、あっちゃん、ともくん達と進んでいくと、冒険の旅に出掛けたようにわくわくドキドキでした。由美先生のリトミックの子ども達は冒険がいっぱいです。学ばせていただくことばかり、本当にありがとうございます。

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