しなのキャンパス慰労会ありがとうございました
kazu | 未分類14 12月 2015
先日は、慰労会ありがとうございました。
小林さんも久しぶりに見えられ、吉越さんも見えられての慰労会・・その時に語った内容ではなく、その空間を共有できたことに
感謝したい気持ちでいっぱいです。幹事の米持さんありがとうございました。
2年間、いや、2年半ぐらいの間、考えることをしなくなっていたせいもあって、今回参加することでとてもいい刺激をもらいました。
北島さんの(私の授業を見た後に考え続けていたことを)「・・・これって何だろう」という言葉で表現されました。
いい言葉ですよね。自問自答しながら人と対話すると、見えていた形が実は一方向だったに過ぎないことに気づかされます。
昨年まで、俺は呼吸することすら苦しくてたまりませんでした。トイレから出ることすらできませんでした。
小林さんのメッセージじゃないけれど、人と会いたくない気持ちがのしかかって(特に自分を知っている人に会うことができず)初心の会も
欠席し続けました。大好きな本さえ開けなかったのです。
何が解決してくれたのでしょうか。やっぱりのしかかっていた「もの・ひと・こと」がはずれない限り、先へは進めないのでしょうか。
答えは見つかりません。見つかりませんが、ひとつひとつひとつひとつと今も自分に言い聞かせています。
しなのキャンパスの学びは子どもに対してではなく、自らに対してであります。「これって何だろう」「これってどういうことだろう」と
考え続けていきたいと思います。
さて、牛山榮世先生が平成23年11月に全指導主事を対象にご講演された内容の一部を抜粋します。
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このように映像を具体的に何回も見直すことを、稲垣先生は非常に大切にしました。映像をお互いに見合いながら、自分が子どもの体の動きをどう受け止めたのかを出し合うことを大切にされました。稲垣先生が、それを大切にされた意味は、子どもがしていること、体の言葉などを受け取る重要性をどういう意味でやっているかっていうことなのですね。実は稲垣先生が大切にされていることは、教材研究というものは、授業が刻々と振興する中でこそ、本質的に行われていると、そのために、子どものいろいろな動きをどう受け取るかが、重要奈のだと話していました。授業を組み立てるために、あらかじめ教材研究をしてプランを立て、そのプランどおりに、あるいはそのプランに従って授業を展開する。その時には、教材研究はあたかも一区切りついているかのようなことになってしまっている部分はないか。実は、本当の教材研究は刻々と動いている中で、子どもが感じ取っている、考えている、どうも自分が考えていたことと少しずれがある、そこをどう受け取りながら、どう判断して、自分のかかわりをその時、その場でどう作っていくかが、本来の授業研究、教材研究であるということが、所長の中にございました。これは、やはり本来的なことではないかとその時のことに対する教師の感覚、細やかに子どもの動きを受け取っていく感覚を鍛えるかと言うことは今、映像で検討することができる時代になってですね、やはり可能になってくることであります。大いにそのところを大事にしたい、そして、教師の子どもを見る感度というものを本当にお互いに鍛え合いたいと思うわけでございます。
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今年もあと半月、病気やケガなどせず、素敵な新年を迎えられますように。そして、三月にはまた一杯やりましょう。
本当にいい時間をありがとうございました。自分がしっかり呼吸できる場所は、やはりいごごちがいいですよね。土曜日はしっかり寝ました。
そして日曜日のこどもたちに、またたくさんの力をもらいました。なんで、あんなに柔らかく変わっていけるんだろう。ゆうだいくんの明るさと自然と支えあう事のできる子どもたちの様子にただただ感動してしまいました。
人とのつきあいは、難しいです。本当にそう思います。子どもたちから始まることをいつも忘れずいたいと思います。
今年も残す所あとわずか。今年を振り返りながら、新年度のスケジュール調整の日々です。
土曜日、日曜日と、本当に大切な時間をいただきありがとうございました。
「木村素衛先生を偲ぶ会」で、強く心に引っかかっていることがあります。それは、よりよく生きるための力は、ありのままが無条件に絶対的に肯定される経験によって支えられている。ということ・・・
私は子どもたちに「それでいいんだよ」と認めて、接していただろうか。むしろ、それじゃだめだよと否定していたのではないだろうか。
うーん思いあたることが多々・・・
患者さんに対しても「どうして分かってくれないのだろう」と、自分の未熟さをさて置き、相手の方を否定していた自分の姿がみえて・・・
それなのに昨日、ある患者さんが「丸山さん、土曜日お休みだったね。心配したよ。やっぱりいてくれないと、いてくれるだけでいいんだから。」と、おっしゃって下さったのです。
もの凄く、うれしかったです。それと同時に、もの凄く申し訳ない気持ちになりました。
上小教育会で川田先生、張さつき様、そしてたくさんの先生方と共にあの場に居させていただけたこと、そしてしなキャンの皆さまと美味しい食事をいただきながらお話しできたこと、リトミックで子どもたちと一緒に笑いあえたこと。
決してあたりまえのことではなく、もの凄いことなのだと・・・
本当に、いつも、いつも、ありがとうございます。
土曜日、日欧日、本当に良い時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
田中先生、由美先生をはじめしなのキャンパスの皆さんとご一緒できたこと。久しぶりに美加さんにお会いできたり、直美さんも木村先生も参加いただけたり、純粋にその中に身を置かせていただいて、ありがたくて、うれしかったです。
土曜日、直美さんとしみじみ語りながら帰りました。直美さんも2人の受験生の母。「〇がさあ、半分心折れちゃってるんだよ。困ったもんだよ」「声かけるにも考えちゃうしさあ、辛そうな子どもをじっと見守るって、こっちも辛いもんだよね」などなど、心の内を語りながら、その根っこある絶対に信じられる大事なものをなんとなく共有出来るような、ちょっとホッとする気持ちもありました。
昨日は、賞与明細を配って歩きました。当社厳しい状態で社長は従事者に謝りっぱなし。それでもおばちゃんたちの金額に対するブーイングは止まりません。ただ一人、障がい者雇用枠のYちゃんは「わー、ありがとうございます。こんなご時世でいただけるなんて。私、こんなに大事にしてもらって、ずっと務めさせてもらって。会社に感謝しています。来年は業績上がるように私も頑張りますね」と言ってくれました。私、車の中で泣きました。Yちゃん自身が自分は大切な存在だって思ってくれて、そのことがうれしかったです。
先日の慰労会に参加させていただき、ありがとうございました。先に失礼してすみません。
あの場にいさせていただいて、話を聞いているだけでほっとするんです。不思議ですね。妙なプレッシャーやあせりプライドなく自分でいられるみたいな
初めてしなキャンに参加させていただいた時、お母さんたちがすごく忙しそうで大変なのに、きらきらしてた どうしてなんだろう?自分にはできるのかな
平野の子供たちがぞろぞろ参加してただただお世話になりっぱなしでなんだか恥ずかしかった、申し訳なかった
そのあとのしなキャンでもみなさんに迷惑かけたり、いやな思いをさせてばかりで
どうせ平野の親だから・・・・って思われてるんじゃないかって
一緒にいていいのかなあ そんあ思いがありました。
でも今回は平野の親、奈央の母である前に小林美加として
もっと伸びていきたいと思ったんだ いま気がつきました。
冬のしなキャンで書いた書初め
「なりたい自分に」
心のどこかにいつもあるのかもしれません。
1月の中野リトミックは23日 11時15分からです。
今日は思わずお話しとお茶しちゃいましたが(私はすごくラッキでした)、子どもの参加ない時は大人のリトミックやりましょうね。楽しみです。
明日は本当に久しぶりのフリーな日曜日です。たっぷり寝ます。