Kさんが言った事

yumi | member, yumi
11 5月 2016

6年生のKちゃんは1年生のバディがいます。その子はじっとしてなくて、入学式の時から大騒ぎの男の子。すでに担任の先生をばばあよばわりしているとか。でもKさんはその子となんとかつながろうとしています。「今日はね、かえるを見つけたかったみたいなんだよ。でも掃除のじかんだったから、かえるの話しながら、今まだいないねえ。かえるはねてるのかなあ、かえるもお掃除してるのかなあ とか話して一緒にいたら、担当の先生がきて関わらなくていい、とつれてっちゃったんだよね。話聞いてあげたらいいと思うのに。」「なんでもだめっていうからその子も逃げちゃうんだよね。一緒に遊んだっていいじゃんと思うけど。今日だってただかえる探したかったのにね。」

そういうKちゃんの話をきいてうれしくなりました。時にはこの6年生にその子を任せてもいいのにとも思いました。先生も親もこどもたちのまっすぐに伸びようとするところを応援できるといいなと思います。少なくてもKちゃんはいろんな1年生のいいところをいつも楽しそうに話してくれます。そしてすでにクラスがぐちゃぐちゃだという話も。今 大人も子どももちょっぴり疲れてますね。少しくらいは大目に見てゆっくり休むのも大事かもしれません。あわてない あわてない 先は長いんだからね。

One Comment

  1. kazu より:

    今までの三年間、自分という人間を殺して生きてきた。同時に人を管理する、物を管理するというおおよそ似つかわしくないところを体験してきた。
    4月になったら、今度は再び総合とは何か、生きるとは、教師とはといったところにきた。
    小6と小1の子のやり取りが頼もしい。すでに先生を遙かに超えているところにいるのに、どうして大人は分からないのだろう。子どもの感性を磨きたければ、自分がアンテナを張り巡らさなければ、子どもの感性など壊れてしまうのに。どうして分からないのか。
    四月から、自分の実践の振り返りと先生たちの立ち振る舞いと子どもの動きにひたすら時間を使っている。相変わらず、提出物はあるけれど、そんなこと以上に本を読んだり、ニュースを見たり、風の音を聞いたりしなければ、立ちゆかなくなっている。今までとりためた、授業記録のビデオをかたっぱしから見ていく必要が生まれていて、でも帰ったら焼酎はのみたいし、困ったもんです。
    しなのキャンパスは、水谷冨保先生が大事にするようにと遺言のような手紙をもらっている。
    八月が近づいている。それまでに私たちの総合としてのしなのキャンパスを作り続けていかなければならない。

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