法事
yumi | 未分類23 11月 2011
13回忌だった。思えば、祖母の介護からだった。自分のたっている場所に疑問を感じ、何かを変えなければと思い始めたのは。
お寺の住職が「干支が一周した」と話した時、もう12年が過ぎたのかと思った。
穏やかな一日、12年間の自分とまわりの環境を静かに振り返った。
経文の中の「一切善悪凡人夫」は人は自分の物差しを持っていて、そのものさしを疑わないでいる、そういう人間であると言う事。
そういう凡人夫が自分を鏡にうつす事ができるとしたら、それは静かに「南無阿弥陀仏」を唱える事でしかない。人が一番大切なのは、自分に出会うこと。自分自身をうつす鏡を持つ事。
そんな話が、すうっと身体にしみ込んだ。いつも振り返るのは自分。
,今日は久しぶりに年少クラスを受け持ちました。K君は父子家庭であまり身の回りの世話もしてもらえない状況、落ち着きがないと問題児扱いされてきた。いつも先生にかまってもらいたくていろいろな挑戦をしかけてくる。
今日はこうしよう、ああしよう・・いろいろ考えてきたけどまったくその通りにはいかず。
でもその時にどうして欲しいのか、どうしてあげたらいいのいか・・・決して自分の都合ではなく。
そうしたら不思議に心穏やかでいられました。帰りに「先生また僕の部屋に来てね」って長時間保育の部屋に
考えたらK君のおかげでいろんな子がお手伝いしてくれた、助けてくれた、自分もあれこれやってみた。
少しだけ、少しずつ自分の体に入ってるのかなあ。
思った通りにいかないリトミック、その瞬間にどうすればいいか・・
保育園の中で生きていることがたくさんあるんだなあって思います、そして子供は自分自身の鏡、その時の自分が見えてはっとする。いつも落ち込むけど今日はK君の帰り際の笑顔がなんだかうれしかったです。