ちょっと気がついた
tae | member, tae18 9月 2013
10日ほど前、ばあちゃんが布団につまづいて足の骨にひびが入った。
ギプスで動けないばあちゃんを見た時、私の足もこんななのに、どうやってばあちゃんの
手伝いをしたら良いのか・・・と不安になった。
けれど、見回すと、じーちゃんはじめ、たくさんのお手伝いの手があることに気がついた。
昼間、動けなくて暇を持て余すうちのばあちゃんのところに、近所のばあちゃんが寄ってくれる。
お湯を沸かして、あるもの出してお茶飲んで、片付けまでして行ってくれる。
初日は我が家の生活が丸みえになってしまうことが嫌だった。だけど、今はただ、ありがたいと思う。
私が自分で出来ないことを助けてもらっていることのありがたさ。
ばあちゃんのわがままにも、根気良く付き合ってくれることにも本気で頭が下がる。
今朝、ご飯の用意をしていると、ばあちゃんが「お母さん、おれ、魚焼いてみようかな」
と言った。「鍋をかまうのは無理だと思う。でも、魚焼くところに入れることは出来そうな
気がする。夕飯のおかずの一品に」「おれだって自分で買ってる農協の食材で料理をしたい。」
「おれだって、自立しているんだから」といろいろと言った。
ばあちゃんは今、自分自身のために頑張っているんだと思った。
そして、それは家族にとっても良いこと、ということにやっと気がついた。
おじいちゃん、おばあちゃんの日常って、今までとは違う自分と言うのでしょうか、当たり前に出来ることがそうではなくなって来ることの体験が連続しているって思う時あります。
自分自身のために頑張っている・・・、本当に、そんな時、自分自身のために頑張っていてくれること、そんなじいちゃん、ばあちゃんが、本当にありがたいです。じーんとしみました。
母が病室の人と車いすに座りながら、二人して外を眺めながら話し込んでいる姿をちょくちょく見かけながら、ありがたいなって思いました。
ゆっくり、繋がりながら自分の歩行を一歩・・・そう思うと、老いと言う言葉よりリズムを感じる気がします。
おじちゃん達を見つめながら、自分自身の老いにも警戒ばかりしていたこと恥ずかしくなって、今、出来ること、本当にありがたいって思います。
この頃、毎日見かける蜘蛛、ベランダの蜘蛛なのですが、風が強くて、巣がものすごく揺れても丈夫。
雨の後、巣がキラキラしていたり、改めて、すごいなって思います。