木村先生を偲ぶ会に参加させて頂きました。

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30 11月 2013

上小教育会の木村先生を偲ぶ会に参加させていただきました。
おかげさまで素敵な時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。

今日は、教育愛(エロス・アガペのお話)の読み合わせをしたり、張さつきさんが
お父様の木村先生から受けた宝物というか愛についてもお話をお聴きしました。
張さつきさんは、木村先生の日記をたくさん紹介してくださいました。
戦時中のたいへんな状況の中、またお仕事が多忙だったり、国へ教育について
お話に行くような中、木村先生はいつも、道に咲いているおおいぬのふぐりに
目をやったり、自然や小さいものを愛で、慈しむことをされていたこと。
また、木村先生を慕われ、学ばれてている先生方お1人お1人に感謝の
気持ちを表していらっしゃることも日記をお聴きしている中で感じました。
私など、忙しくなると、自分の上の空の色さえも分からなくなってしまいます。
自分ばっかりたいへんな気がして、周りの人のことに気持ちが向かなく
なってしまいます。
張さつきさんの心地よいお声で心が温かくなるエピソードをお聞きしました。
さつきさんが5歳のとき亡くなったという木村先生ですが、
さつきさんは先生の愛の中で生きてこられたことを思いました。

読み合わせでは、私、今日と言う今日はいかにこどもたちが、こどものころに
出会う大人の存在が大きいかということを実感しました。
彩や翔が小学校の頃のほんわかした心があったかくなる田中先生との思い出や
リトミックでの話、パントマイムのときのことを語れることがどんなに幸せなこと
なのかも実感しました。自分の存在そのものが受け入れられた、そういう体験がある
我が子は幸せだと改めて思いました。

実は、私が小6のとき担任だったT先生が、今日の会にみえていました。
ところがT先生、会場で人の話を聞かずに、自分の木村先生の教育論をそばにいる先生に
語られていました。私、ごあいさつしたところ、私のことは覚えていませんでした。
(5年生の時、別の先生で学級崩壊して、6年生の1年間は毎日、毎日、各自が教科書の
要点を喋らずノートにまとめるだけの授業だったので、T先生との関わりも薄かったから
覚えていないのも無理はありません。)
先生が私のことを覚えていないにしても、担任だったという思い出は私の中で色濃く、
お世話になった方なので、T先生のあんな姿を見てしまうと、なんだか、自分の父親が
酔っぱらって人様に迷惑をかけていて申し訳ないような(すみません、言い方が悪いです)
気持ちになりました。
担任の先生ってこどもにとって大きな存在なんです。
だから、余計に彩と翔は幸せだと気がついたので、そう気付かせてくれたT先生には、
少し感謝もしています。T先生がいて、小6の私たちがいた。ちょっと複雑な心境ですが、
私に出来ることはひとつひとつ、なるべく丁寧に生きれるよう、人との関係でも
少しでも心にゆとりを持てるよう心がけたいと思いました。

すみません。米持目線で書きました。

たかよさん、どうか、たかよさん目線でお願いします。

One Comment

  1. TAKA より:

    土曜日の日も本当にお世話になり、ありがとうございました。

    憧れの張さつき先生にお目にかかれ、感無量です。
    「二人介護のはざまを生きる」や「愛無限」の本の中でしか知らないさつき先生でしたが、私の想像通りといいますかそれ以上の方でした。
    誰に対しても低姿勢で、常に感謝の気持ちを持ち、それでいて意志をしっかり持っていて凛とされているそんなオーラを感じました。
    まさに木村先生のお嬢様という感じでした。
    本当に素敵な方でした。

    読み合わせをしていて、私も小さい頃特に小学校の時に出会う先生の存在は大きいなと感じました。
    そんな時、田中先生に出合うことができた子どもたちは(親の私も)本当に幸せだと思いました。
    そしてそれと同時に自分は、いかに子どもの人格的尊厳を犯していたか・・・
    特に7ページの「子は犯すべからず人格的尊厳をもっている。ところが母はよく自分の気持ちに従って自分の自由にするというようなことが多い。~その直接的態度が深く反省されて高い真の母性愛にまで成長しなくてはならない。」と。
    まさに私のことだと思いました。
    「あなたは心の底から子どもたちのことを応援してますか?どこかでこうなって欲しいと思い願っていませんか?」と・・・
    自問自答の時間でもありました。

    あの後、上田城で1時間ほど過ごし帰ってきました。

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