なんだか、長くて重くて、だけど意味のある一週間がやっと終わろうとしている。
でも嬉しい事もある。浪人していたRが都内K大の哲学科に合格した。薄っぺらになっていく若者たちの中に敢えて思索する事を選ぶやつがいる。それだけでうれしい。
誰だって考えない訳じゃない。若者の思索を中断させてしまう環境をつくっているのは大人だ。
R!いっぱいいっぱい考える人でいてね。はあ、やっと土曜日にたどり着く。
たどり着いた土曜日のしめくくりは、どうしようもなく重くて、たまらないものでした。
Mちゃんのお父さんとおばあちゃんとしのちゃんと私の4人。初めて向かい合って話をしました。
気のせいでも、思い違いでもない、母と子の関係。 本の中の事ではなく、現実の事でした。
Mちゃんがきのう流した血。 これまでの話のたくさんの矛盾。
「本当にMちゃんの将来を考えるのなら、今すぐ動いてください。一刻の猶予もないんです。」 「だれかひとりでも、自分が我慢すれば何とかなる とおもっていたら永遠に解決しません。自分のなかのドロドロやわがままをぶつけないまま解決なんてできない。過去をふりかえって後悔することじゃなくて、目の前の人と正直にぶつかってください。苦しい事、ぶちまけていいんです。今はご主人とおばあちゃんが協力しないでは、どうしようもない。その事を、今回Mちゃんが血を流して教えてくれたんですよ。」
約2時間、おもにお父さんとおばあちゃんの言い分を聞く事に費やし、最後に言った事は、現実として子どもを傷つけてしまった以上、素人の範疇を越えてしまった事。はやく対処しなければ、次が確実に起こること。誰かが悪いとか、原因をあれこれ言っている場合ではない事を伝えたうえで、上記の事を言ってみた。
確かに伝わったかなんて分からない。 むしろおばあちゃんは、聞く耳を持っていない感じがした。ご主人が、動いてくれる事を祈るしかない。
確かに現実のものとなっている。 私たちは自己弁護をする生き物であるが故、真実を見失ってしまう。 何を隠し何を守り、今を生きるか こどもの為という言葉に秘められた固定概念と偽りのまなざし しなのキャンパスの学びはここにあるのかもしれない
今日になって、またたくさんのうそが発覚。人間はなんて悲しくて、なんて浅はかか。小さなうその連続が、偽りの親子関係を作っていった。うそが一つはがれ落ちると、関係は次々に壊れていく。
壊れていく事より、そこでまた嘘をつこうとする母。70を越えてそういう生き方をしているのを見つめるのが悲しい。
中垣先生はそれを受け止めている。
近所のおばあちゃんが、急に亡くなって、 少しだけお手伝いに行きました。
昔、その家には、気のいいワンちゃんがいました。 やっとヨチヨチ歩きを始めた翔と彩は、しょっちゅう その犬に会いに行きました。 そうすると、その犬は決まって、お腹を上にして、ゴロン。 その犬を挟んで、翔も彩もゴロン。3体はまるで同じ格好でした。
そんな様子をあったかく見守ってくれたばあちゃんでした。
自分とばあちゃんの関係から、涙を流される人、嗚咽される人・・・
同じ人の死に涙される人同士なのに・・・どうして・・・と思うことばかりでした・・・・いろいろな事が裏が透けて見えるくらい薄い紙の表裏一体のようでした・・・
この頃の自分を振り返って・・・自分の中の思いこみ・・・知らず知らずにかたまっていると言うこと・・・地震のように心身共に揺り動いたときに、自分で固めてしまっているその断層が、自分で見えたときに、自分の中の固めたものを実感するって・・・思いました。 皆さんと話をさせていただいたり、リトッミクで皆さんと動きながら、子ども達の思いがけない動きや言葉にもその時々はっとしながら、体ごと思いっきり揺れて・・・思いこみ気づいていたり、視界がひらけたりしながら・・・かたまりをほぐして・・・自分のなかを少しづつでも耕していけないと・・・思いました。 山のばあちゃん・・・子どもの頃、炊きたてのご飯のお釜を開けてご飯をほぐすときにいつもいってました、「炊いたご飯をほぐすのは、心をほぐすってことだよ。喧嘩したり・・・そんなどんな心も朝には自分の心ほぐして一日をはじめるってことなんだ」 と言っていた。 今朝もご飯のにおいと一緒に思い出した。少しでも耕せていけるように歩いていきたいと思いました。
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たどり着いた土曜日のしめくくりは、どうしようもなく重くて、たまらないものでした。
Mちゃんのお父さんとおばあちゃんとしのちゃんと私の4人。初めて向かい合って話をしました。
気のせいでも、思い違いでもない、母と子の関係。
本の中の事ではなく、現実の事でした。
Mちゃんがきのう流した血。
これまでの話のたくさんの矛盾。
「本当にMちゃんの将来を考えるのなら、今すぐ動いてください。一刻の猶予もないんです。」
「だれかひとりでも、自分が我慢すれば何とかなる とおもっていたら永遠に解決しません。自分のなかのドロドロやわがままをぶつけないまま解決なんてできない。過去をふりかえって後悔することじゃなくて、目の前の人と正直にぶつかってください。苦しい事、ぶちまけていいんです。今はご主人とおばあちゃんが協力しないでは、どうしようもない。その事を、今回Mちゃんが血を流して教えてくれたんですよ。」
約2時間、おもにお父さんとおばあちゃんの言い分を聞く事に費やし、最後に言った事は、現実として子どもを傷つけてしまった以上、素人の範疇を越えてしまった事。はやく対処しなければ、次が確実に起こること。誰かが悪いとか、原因をあれこれ言っている場合ではない事を伝えたうえで、上記の事を言ってみた。
確かに伝わったかなんて分からない。
むしろおばあちゃんは、聞く耳を持っていない感じがした。ご主人が、動いてくれる事を祈るしかない。
確かに現実のものとなっている。
私たちは自己弁護をする生き物であるが故、真実を見失ってしまう。
何を隠し何を守り、今を生きるか
こどもの為という言葉に秘められた固定概念と偽りのまなざし
しなのキャンパスの学びはここにあるのかもしれない
今日になって、またたくさんのうそが発覚。人間はなんて悲しくて、なんて浅はかか。小さなうその連続が、偽りの親子関係を作っていった。うそが一つはがれ落ちると、関係は次々に壊れていく。
壊れていく事より、そこでまた嘘をつこうとする母。70を越えてそういう生き方をしているのを見つめるのが悲しい。
中垣先生はそれを受け止めている。
近所のおばあちゃんが、急に亡くなって、
少しだけお手伝いに行きました。
昔、その家には、気のいいワンちゃんがいました。
やっとヨチヨチ歩きを始めた翔と彩は、しょっちゅう
その犬に会いに行きました。
そうすると、その犬は決まって、お腹を上にして、ゴロン。
その犬を挟んで、翔も彩もゴロン。3体はまるで同じ格好でした。
そんな様子をあったかく見守ってくれたばあちゃんでした。
自分とばあちゃんの関係から、涙を流される人、嗚咽される人・・・
同じ人の死に涙される人同士なのに・・・どうして・・・と思うことばかりでした・・・・いろいろな事が裏が透けて見えるくらい薄い紙の表裏一体のようでした・・・
この頃の自分を振り返って・・・自分の中の思いこみ・・・知らず知らずにかたまっていると言うこと・・・地震のように心身共に揺り動いたときに、自分で固めてしまっているその断層が、自分で見えたときに、自分の中の固めたものを実感するって・・・思いました。
皆さんと話をさせていただいたり、リトッミクで皆さんと動きながら、子ども達の思いがけない動きや言葉にもその時々はっとしながら、体ごと思いっきり揺れて・・・思いこみ気づいていたり、視界がひらけたりしながら・・・かたまりをほぐして・・・自分のなかを少しづつでも耕していけないと・・・思いました。
山のばあちゃん・・・子どもの頃、炊きたてのご飯のお釜を開けてご飯をほぐすときにいつもいってました、「炊いたご飯をほぐすのは、心をほぐすってことだよ。喧嘩したり・・・そんなどんな心も朝には自分の心ほぐして一日をはじめるってことなんだ」
と言っていた。
今朝もご飯のにおいと一緒に思い出した。少しでも耕せていけるように歩いていきたいと思いました。