学力問題を問う~学力向上に向けた取り組み~
kazu | kazu, member3 5月 2011
この言葉を今までは毛嫌いして避けて通っていた。神様はそんな私にこのテーマで原稿を書くよう命じた。
信濃教育6月号に書く原稿のテーマである。学力の低下は県議会でも話題になり,県教育委員会は中学校の校長たちを会議の折に前列に座らせ叱責したとかしないとか…
勉強できなかった子どもを前に集めて叱っている教師や親と一緒だなあ…それでこのテーマが舞い降りてきたのかどうかわからないが,結局のところ私のところにおはちが回ってきたというわけ。
さてさて,全然書けずに一ヶ月が経った。そして,期限がきた。書けなかった。3日期限を延ばしてもらった。結局今も書けない。けれど,どうにかTitleとsubtitleと主張したいことだけは浮かんできた
Title「ひとつひとつの事実が生み出すもの」 subtitle「自らの問いにむきあう時」
そして主張したいことは「学力観を問う」ことと,「学力低下!」は誰の叫び? ということである。 果たして書き綴れるかどうか。今私は,執筆活動中
カラマゾフに重なります。
世間がいわゆるロシア的と見なしている事。カラマゾフの血と言う思い込み。それらは全部個々のうちにあるという事。まだやっと1部を読み終わるところですが、対象(私の場合は子どもたち)と対話する事で(リトミックをしながら)子どもの姿を通して、自分の中の奥底にあるものや、今まで気付かずにすぎていた事に気付かされていく。
田中先生が苦しいのは、教師の指導によって学力向上が可能であると県教委始め多の人が信じているから。そこには一方向の矢印しかない。その指導力を問おうとしているからゆきづまってきた。指導力がないとされる教師は、うつになったり、追いやられてきてしまった。落ち着きのない子どもも、排除されようとしている。
そもそも教育は、人間と人間の交わりの中にモチベーションが生まれるからこそ、互いに対して教育しあえると言う事を、私たちは学んできたはず。教室にはさまざまな方向に矢印がむき、お互いの観察から気付いていく。指導云々の前に、人間同士の対話があり、受容が生まれるからこそ、学ぶ事が始まる。教師もこどもも未熟だからこそ、学びが必要になるということ。
学力を点数と結びつける中で、どうやって何を伝えたらよいのか、本当に難しいです。
でも、信教は川田先生の寄稿をのせているのですから、きっと自分に問う事の意味を受け止める先生方も多くいるはずです。
私も来週紀代美ちゃんの学校の研究部会で「子どもの観察」(子どもがそうするのはどうして?)というあたりから、話してみたいと思っているのですが、最初の文がなかなか始まりません。
悶々としている
昨日は終日,地区の水利組合の仕事だった。
さてさて,本日締め切り日
なかなか,言葉が生み出せない
そんな中,「状況が人を動かす」藤田英夫著 というブックオフで買った100円の本を書籍棚から手にした。
いつもの通り,ぺらぺらめくっていったら,引用文献一覧のところに,゜小松恒夫著 教科書を子どもが創る小学校」と書かれていた。さらに,ペラペラめくっていくと次の人名が目に飛び込んできた。…東京の町田市立忠生中学校の話もよく知られている。1983年,生徒が先生をナイフで刺したというなら,今日でもありそうなことだが,その逆の先生が生徒をナイフで刺したという事件である。この場合も新任校長の学校再建方針によって,問題が大きくされ,全校生徒,教師はもちろん,、父兄そして地域社会の多くの人々の参加によって見事に学校を蘇らすことができた。
このような現状を福井大学教育学部の小林剛教授グループが調査し、それへの対応を「いじめ講座」として公開している。それを取材したサンデー毎日によれば,問題は当事者と教師の間だけでは解決できないとの立場から,教師に向けたアドバイスの冒頭に次のようなことを言っている。
いじめっ子もいじめられっ子も同じ土俵で議論できるように、教師が状況づくりをしてやるのである。できれば第三者的な立場の個も中に入れ,クラス全体で話し合う方がいい(中略)教師や親から指摘されるより、同じ年齢層の者から言われる方が子どもたちは順応しやすいからだ。(中略)
つまり,子どもたちが客観的にいじめを見つめ,自主的にやめていくような舞台を教師がセッティングしていくのである。
小林教授のアドバイスのポイントは、企業内の組織運営にもぴたりと当てはまる。問題と言われるものの多くは現象である。せっかく姿を現した現象を事務的に表面的にうまく処理して終わらせ早々に消し去ってはもったいない。
さて,原稿書きに移ろう。
知りませんでした。
叔父がずっと学校のいろんな事にかかわった結果が神出学園なのだと改めて思います。
やっぱり行ってみたいと思いました。
「問題と言われるものの多くは現象である。せっかく姿を現した現象を事務的に表面的にうまく処理して終わらせ早々に消し去ってはもったいない。」
まさに、今日、今の状況です。
上の人たちは、みんなに良いように。と最大公約数を求めようとしています。だけど、その「最大公約数」は、誰からも同じ距離にあるかも知れないけれど、誰か1人にも側になくて・・・・
一つずつ、一つずつ、とにかくやってみます。