柳原のリトミック

tae | 未分類
13 6月 2011

昨日は、本当に本当にお世話になりました。
かおりん先生のリード、由美先生のサポート、最高のチームワークでこどもたちの表情も、おとなの表情も最高に生き生きしていることをビデオにおさめ、縄跳びもみとれていたら、その時がやってきてしまいました。

由美先生からいただいた絵本の宿題。私が超下手くそで、こどもたちに申し訳なくてたまらなかったのですが、そのあと、かおりん先生や由美先生が拾い上げてくださることが、たくさんたくさんあって・・・
私は終わったとたんに、ああ・・・死んだ。と思ったのですが、そのあとまた、息をさせていただきました。参加されたこどもたちをみながら、本当にありがたいと思いました。
今おもえば、rooster は雄で henは雌でなんてこともあったなあ・・・とか、せっかく赤ちゃんがいたんだから、あさひくんに、あさひくんちの赤ちゃんはどんなお話するのか教えてもらいたかったなあ・・・といろいろ思い始めています。
時間にすれば、本当にわずかなこどだったのですが、本当に情けない状態ですが、本当にありがとうございました。

それにしても、毎回、毎日、目の前のこどもたちと向かい合っていらっしゃること、そして、こどもたちが自分の足で歩むことをさせていただいていること。リトミックで見せていただいていること・・・先生のブログの先生のこどもたちの心の深さをおもうと・・・改めて、ひたすら、すごくて、本当に、いつもいつもありがとうございます。

4 Comments

  1. kazu より:

    感じていることがあります。
    私たちは,ひとつの「出来事」に対し,何を学んでいるか…ということです。「反省しています」「至りませんでした」「深さがないと思い恥ずかしくなりました」等々のコメントは,実は,振り返りの浅さを物語っています。その一瞬,その時,自分は「どこに」「何を」感じたか,もっと言えば「見たか」…にあると思います。
    子どもの声や姿を並べ立てて,さぞわが子や自分をふりかえっているようなコメントは「ふり」でしかないということを感じているのです。
    反省文を書く時間ではなく,ここに,自分の実践を重ねていくことこそ,「結果的に」深まっていくのだと思います。

    米持さんのその一瞬の拾い上げを読み返しながら,私たちもその一瞬を感じれるようにしたいものです。

  2. yumi より:

    あの絵本、なきごえと動物、子どもたちはどうとらえたんだろう。
    本からもう一度離れて、Guess who?
    を英語のみで問うてみたらよかったかなあ とか
    動物の色をイメージしながら、なるたけ英語だけでやり取りがあってよかったのかなあ、とかも思います。
    英語だけの空気の中で、ひたすら待つことって、もしかしたらこれからの英語リトミックのポイントになるかもしれない。

    等々思っています。

  3. tae より:

    本当に本当にありがとうございます。
    あのとき、変に緊張しすぎて自分の思いこみの記憶しかなくて、本当にすみません、気持わるいところなど、また教えてください。

    絵本をいただいてからやる前に考えていたことは
    ● ”guess who?”
      ”peek-a-☆☆-! says ◎◎”
    という同じパターンを英語で繰り返していく中で、どんなことを言っているのか感じてもらえたらいいなあ。
    ● 大事にしたい順番は動物の名前が①で、泣き声②、その情報として、色③ ・・・順番つけないと、内容がごちゃごちゃする気がしました。
    ● リトミック前の由美先生とのお話の中で・・・
    動物の鳴き声と、名前が同じ読み方だったら、泣き声なのか、名前なのかわからないこと。
    (そのほか・・・・雄と雌と違う名前の動物がいるけれど、雌はなくの?・・・・wing 、crest、身体のパーツは?・・・・など)

    読み始めておこったこと
    ●読み始めてすぐに、まっすぐにこちらをみてくれるこどもたちが、違和感を感じているのでは・・・と思い、気になりました。あさひくんが、お母さんの方をみて半分立ち上って、お母さんがなにか動物の名前を言ってくれて、またこちらを向いて座ってくれました。
    ●思わず、gues who? といいながら、”だあれ?”と言ってしまいました。本当は、英語だけの繰り返しの中で、自然に”だあれ?”を感じてもらえたら、と思っていたはずだったのに・・・その後、日本語で動物の名前を答えてくれたのを、気が付いたら日本語で返していました。”In English, this is an OWL” とか、あくまで英語だけで返すことが出来たら、どうだっただろう。

    読みながら一番感じていたことは、英語は異質なこと、違和感があることではあるけれど、本当は、日常の生活の中に溢れていて、普通にたくさんあるもの・・・ということでした。
    朝のヒーローもののTVをとっただけでも、たくさん色や動物の名前が出てきています。きっと、たくさんの色を自分で英語で言えるんです。だから、”What is this black and white one?” なんて、私が言ってしまうのではなくて、今度は、色を質問して、言ってもらったら、どう違ってくるだろう・・・
    待てずに、日本語が出てしまったこと。それによって、ますます英語と日本語が違うものになってしまったのではないだろうか・・・と思います。先週、私自身が外語センターへでレッスンを受けた時、どうしても分からなかったことを先生との話しの中で自分で発見したことがあり、嬉しくて、なんだか英語と日本語の間に橋が架けられた気がしたこと・・・先生が言ったことも分かって、先生との間にも橋が架けられた気がしたこと・・・
    そういえば・・・こどもたちの自分で発見の瞬間・・・・・見逃してしまいました・・どんな発見があっただろう・・・・
    「あの絵本、なきごえと動物、子どもたちはどうとらえたんだろう。本からもう一度離れて、Guess who?
    を英語のみで問うてみたらよかったかなあ とか」
    読み方が下手だと嘆く前に、下手なりに、もっともっと、いろいろとあの手この手のやりようがあったのですね。
    書き始めたら、まだまだ、もやもやとすっきりしないものがあります。自分で、逃げたり、蓋をしたりして、なにか自分自身をみつめる邪魔をしているような気がします。気持ち悪いので、とにかくいろいろやってみて、もっと掘って掘って掘ってみます。

  4. yumi より:

    せっかくだから中野でも時間とれる時は試してみる?
    とにかく場を踏む事。たくさん失敗して、「今度はこうして見よう」と思う事。
    私もその連続です。

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