そろそろ感想でてくる頃でしょうか。
今度どなたか、きっかけつくってくれませんか?
まあ,信濃教育の原稿はそっとしておいていただいて・・
田中先生のところじゃなくても感じていることたくさんあるのに、何の反応もないのは なんだかなあ って感じです。
サッカーの長谷部の本読んで思い当たることがたくさんあります。
このところ、彩や翔の高校生活の中のいろいろな初体験を感じながら(追試期間の部活停止含め)、ふつふつと心にあったことは、私は子どもの何をみているのか・・それは、誰にとって大事なことなのか・・・もっと言えば、私はどこに立っているのか・・・・おし流されていく毎日を振り返りながら、先生の実践を読ませていただくと、なぜか自然に足が踏ん張れるような気がしたのです。 感動の渦・・・「自ら動き出す姿」・・・「子どもを教師(親)の思惑で語るのはやめよう」・・・「あの子」との出会い直し・・
いろんなことを自分に置き換えてみたのですが、やっと、ついさっき、ああ・・・と自分なりに体験したことがありました。私にまず必要なこと・・・リセットです。 すみません。本当に小さなことなんですけれど、私には妙に腑に落ちて・・・
さっき、9時過ぎ、飯山の街中を車で通ると野球部らしい2人が走っていました。よく見ると、先輩と先輩を追いかけるように走っている翔でした。本当に今更当たり前のことなのですが、それをみたときに、ああ、私は彩の横に並んで走ることもできないし、翔と一緒に走ることなんて、とうてい出来ない。だけれども、やつらには、一緒に走ってくれる仲間も先輩もいる。そう思ったら、ものすごくありがたいなあ。と思いました。
そして、「こどもを見たい」と言いながら、どこか、先入観をもって上からみようとしていたから、こんなに気持ち悪かったのかなあ・・と思いました。まずは、リセットです。
あっ高校野球開幕日となりました。彩は国体予選。今、ふーっと気がついたのですが、私にできること、何もないです。 無事に返ってくることを祈るだけのような気がしています。
自分一人から見ると、知らず知らずに固まっていること・・・思いこみや先入観に自分自身が縛られているということ・・・今日のミスドでもリトミックの時間のなかでも、そんな自分のなかの固まりに気が付く瞬間に出会います。 本当にありがたいです。ともくんのさりげない動きや言葉、お日様のように照らしてくれています。、ともくん、ちかちゃん達を追っていくと「あっそうか」と思って、ありがたくっていっぱいになっていくのです。由美先生のリトミックの空間・・・子ども達の身体は無限・・・なんだと教えていただきます。先生の「信濃教育」実践の事、そしてA君のことを思います。学びを求める姿・・・。思い・・・。 はる君もかれんちゃん達もリトッミク後も由美先生にとびっついて・・・由美先生への信頼にあふれていて・・・見させていただけたことにも、「今」にも本当に感謝でいっぱいになります。 発見がもう一つ、多恵さんの音と子ども達の音が重なって・・・(私、英語、ほんとに苦手なのですが)嬉しくて、楽しくて・・・発音の山あり谷ありにはじめてわくわくを感じました。chimpanzeeのzeeを言うとき、くすぐったくって面白かったです。Bananaもくすぐったい感じです。音ってすごいなって改めて思いました。 子ども達に感動して、心が揺れて動いて・・・そこからの根っこを大事にしていかなければ・・・と、先生の実践を読ませていただいても、今日も、ずっしずっしと思います。
「信濃教育」の上智大学の奈須先生の「自分に引きつけて学ぶということ」 を読ませていただき思いました。 私はこどもたち(相手)が話すひとつひとつの言葉の重みをまるで感じていなかったなーと。
むしろ表面的な理解で、それはこういうことと勝手な理解をしていた。 あの女の子いう「しゃりん」。 自分の経験に重ねてこのお話を読んでいたと気づくには、その女の子のお話にじっくり耳を傾け寄り添わなければみえてこないのだろうな・・・・ きっとそれはそうではなくて・・・と否定的なことばで彼女のことばをさえぎってしまう自分の姿がみえてきて・・・・
田中先生の実践報告のなかに「この子はOOなんだよねえ」 といった教師(親)の都合のよい解釈の世界で子どもたちは生きていないという この部分を読ませていただいたとき随分と心あたりがあり、いろいろなことが浮かびました・・・・
私の自分勝手な解釈は、子どもたちに対してだけでなく、患者さんに対してもあるのだと思いました。
自分のありさまを、目をそらすことなく、みつめてみようと思います。
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まあ,信濃教育の原稿はそっとしておいていただいて・・
田中先生のところじゃなくても感じていることたくさんあるのに、何の反応もないのは なんだかなあ って感じです。
サッカーの長谷部の本読んで思い当たることがたくさんあります。
このところ、彩や翔の高校生活の中のいろいろな初体験を感じながら(追試期間の部活停止含め)、ふつふつと心にあったことは、私は子どもの何をみているのか・・それは、誰にとって大事なことなのか・・・もっと言えば、私はどこに立っているのか・・・・おし流されていく毎日を振り返りながら、先生の実践を読ませていただくと、なぜか自然に足が踏ん張れるような気がしたのです。
感動の渦・・・「自ら動き出す姿」・・・「子どもを教師(親)の思惑で語るのはやめよう」・・・「あの子」との出会い直し・・
いろんなことを自分に置き換えてみたのですが、やっと、ついさっき、ああ・・・と自分なりに体験したことがありました。私にまず必要なこと・・・リセットです。
すみません。本当に小さなことなんですけれど、私には妙に腑に落ちて・・・
さっき、9時過ぎ、飯山の街中を車で通ると野球部らしい2人が走っていました。よく見ると、先輩と先輩を追いかけるように走っている翔でした。本当に今更当たり前のことなのですが、それをみたときに、ああ、私は彩の横に並んで走ることもできないし、翔と一緒に走ることなんて、とうてい出来ない。だけれども、やつらには、一緒に走ってくれる仲間も先輩もいる。そう思ったら、ものすごくありがたいなあ。と思いました。
そして、「こどもを見たい」と言いながら、どこか、先入観をもって上からみようとしていたから、こんなに気持ち悪かったのかなあ・・と思いました。まずは、リセットです。
あっ高校野球開幕日となりました。彩は国体予選。今、ふーっと気がついたのですが、私にできること、何もないです。
無事に返ってくることを祈るだけのような気がしています。
自分一人から見ると、知らず知らずに固まっていること・・・思いこみや先入観に自分自身が縛られているということ・・・今日のミスドでもリトミックの時間のなかでも、そんな自分のなかの固まりに気が付く瞬間に出会います。
本当にありがたいです。ともくんのさりげない動きや言葉、お日様のように照らしてくれています。、ともくん、ちかちゃん達を追っていくと「あっそうか」と思って、ありがたくっていっぱいになっていくのです。由美先生のリトミックの空間・・・子ども達の身体は無限・・・なんだと教えていただきます。先生の「信濃教育」実践の事、そしてA君のことを思います。学びを求める姿・・・。思い・・・。
はる君もかれんちゃん達もリトッミク後も由美先生にとびっついて・・・由美先生への信頼にあふれていて・・・見させていただけたことにも、「今」にも本当に感謝でいっぱいになります。
発見がもう一つ、多恵さんの音と子ども達の音が重なって・・・(私、英語、ほんとに苦手なのですが)嬉しくて、楽しくて・・・発音の山あり谷ありにはじめてわくわくを感じました。chimpanzeeのzeeを言うとき、くすぐったくって面白かったです。Bananaもくすぐったい感じです。音ってすごいなって改めて思いました。
子ども達に感動して、心が揺れて動いて・・・そこからの根っこを大事にしていかなければ・・・と、先生の実践を読ませていただいても、今日も、ずっしずっしと思います。
「信濃教育」の上智大学の奈須先生の「自分に引きつけて学ぶということ」
を読ませていただき思いました。
私はこどもたち(相手)が話すひとつひとつの言葉の重みをまるで感じていなかったなーと。
むしろ表面的な理解で、それはこういうことと勝手な理解をしていた。
あの女の子いう「しゃりん」。
自分の経験に重ねてこのお話を読んでいたと気づくには、その女の子のお話にじっくり耳を傾け寄り添わなければみえてこないのだろうな・・・・
きっとそれはそうではなくて・・・と否定的なことばで彼女のことばをさえぎってしまう自分の姿がみえてきて・・・・
田中先生の実践報告のなかに「この子はOOなんだよねえ」
といった教師(親)の都合のよい解釈の世界で子どもたちは生きていないという この部分を読ませていただいたとき随分と心あたりがあり、いろいろなことが浮かびました・・・・
私の自分勝手な解釈は、子どもたちに対してだけでなく、患者さんに対してもあるのだと思いました。
自分のありさまを、目をそらすことなく、みつめてみようと思います。