木島平で
yumi | member, yumi30 9月 2011
久しぶりの宮﨑先生は、ずいぶん若くなった感じで驚いた。ダイエット中との事。
21名の学生。しなのキャンパスに来ていた学生もいた。スーツ姿の学生たちは皆まじめそうで、どこかの誰かさんとは大違い。
学生たちに聴いてみたい事が山ほどある。
教育実習を実際に経験した学生、これから経験する学生に、数学という教科の授業をするときどんな立ち位置でいるのか。もっともっと田中先生の授業に疑問質問をぶつけてほしいと思った。この先そういう機会がたくさんある事を希望します。
それにしても子どもたちの感覚の研ぎすまされている事におどろく。しかも自然体で。さて、田中先生はまた揺さぶりをかけるはず。どこをどう壊すのだろう。
ひとりの子が「信じている」といった言葉がやけに新鮮にひびいた。まっすぐに大学生の目を見て言えるなんて、やっぱりすごいや。
学生の皆さんから数多くの質問が寄せられた。
「学習課題」とは先生にとってどういう意味を持っているのか
なぜ,あのグループの課題を授業場面として据えたのか
子どもたちがああいう語り合いをしながらいろいろな意見が出た時,どういうまとまりをつけていくのか
等々
でもさすが,宮崎先生の学級の学生たちである。本筋をとらえている。けっして,くだらない質問はでない。さすがである。
とかく,ああした場面に出くわすと,もっとこういうことができる,こんな質問をしたらこう切り返そう的な発想があたまをよぎるものだが,そうではない。
あの学生たちに私の素の姿を見せていくことが肝心なのである。その時は「へぼい」と思っていいのだ。いつか自分が出くわす様々な体験の場面で,「ひょっとすると田中のおもいはここにあったのか…」などと,過去の出来事をひっぱりだすことがあれば…それでいい。当然,忘却の彼方にいってしまって忘れてしまう人たちだろうが,大学院の荒谷さんは違ってた。
数年ぶりにmailをくれ,「どうしても先生の授業をみたい」と学生たちに声をかけたのだった。
授業とは,いろいろな展開を生んでいく。でも,乱暴に考えてはいけない。ていねいにていねいに創り上げていくものだ。
あれもできるこれもできる,こうしたらもっとこういうことも生まれる…とひとりほくそ笑むのはいいが,あくまでもていねいに生きることだと思うようになった。
これは,小野寺さんの影響でもあり,宮崎先生の影響でもある。
最近,自分の授業づくりに対して,少しずつ見方をかえている。
昨日は楽しかった。
彩、サイン・コサイン・タンジェント(カタカナ表記しかできない私ですが・・・)にミケンにしわを寄せながら挑んでいます。
私がのぞきこむと
彩「今、なんとかしたい問題を解決しようとしているんだから邪魔しないで!!えーっと、タンジェントが分かっているときには・・・ブツブツ・・・」
多「タンジェント?」
彩「何かしらの手がかりとなるものがあるはずだから、それを見つけて、自分で道を作ったり、組み立てていくんだよ・・・あっ、こうやってやれば・・・、こっちのやり方もあるか・・・」
ノートをのぞいても、そこに何が起こっているのか私にはまるで分からないのですが、彩がブツブツ言うのを聴きながら、今さらながら、彩にとっての数学をちょっとだけ覗いたような気がしました。
私にとって、数学は答えを出すために、シンプルにしていくとか、収束していくイメージだったのですが、「組み立てていく」と彩が言って、いろんなやり方を試しながら、むしろ広がっていくのをみて、面白いと思いました。
はっ!!これが、公式の意味も考えずにやり方で育ってしまった私なのです・・・・