荷物送り

TAKA | member, taka
8 11月 2011

そろそろお米が終わるころだと思い、美幸のところに荷物を送ることにした。

近くのスーパーから大きなダンボールを貰ってきて、早速詰め始めた。

新米、電気毛布、手袋、マフラー、シャンプー、リンス、野菜スープ、海苔、年賀状ファイル、ヒートテックの下着などなどを詰め、次に野菜を入れた。

ピーマン、ミニかぼちゃ、サツマイモ、じゃがいも、だいこん、はくさいなどなど。(ほとんどが母の作った無農薬の野菜だ)

一人だからたくさんはいらないだろうけれど、忙しくて買い物に行かれないと言っていたので、とにかくいろいろなものを詰めた。

日ごろなにかとお世話になっている大家さんの分の野菜も入れた。

蓋をしたら、母が、ほうれんそうとくるみを持ってきて、「これも入れてあげればいい」と言った。

痛い足を引きずって、畑からほうれんそうを取ってきてくれたようだ。

くるみをみたらすぐ食べられるように殻から出してあった。

早速それも詰めてガムテープで蓋をした。

「あっ!美幸の大好きなお菓子入れ忘れた!」

またガムテープをはがし、お菓子も入れた。

なんだかんだと入れていたら2箱になってしまった。

それにしても何度もガムテープで貼りなおしたので、ダンボールがボロボロに・・・・

ふと30年前を思い出した。

ひとり暮らしを始めたばかりのころ、家から送られてきたダンボールの箱、やっぱりボロボロだった・・・

そういうことだったのか・・・・

涙があふれそうになった。

 

 

 

 

 

 

4 Comments

  1. tae より:

    学生の時も、野沢に就職してからも、家から送られてくるものは、なんだか無条件にうれしかったです。

    先週末、彩と実家の近所のおばちゃんに、母の入院で3日ばかり諸々迷惑をかけるのでお願いに行くと、「あっこちゃん(母)、おめが高校生のころ、おめのことが分からないって泣いてたこと、おめえは知っていたのか?」と・・・おばちゃんがこのタイミングで言うのは意味がある気がしました。

    私にも子離れの時期が来ていることをひしひしと感じています。

    彩、大会が終わった夜、板の間に土下座して、号泣しました。しゃくりあげながら、夫と私に「うちは、テニスをやりたい。これからも、週に1.2回の長野でのレッスンに通わせてください」と何度も言いました。私には、初めてみた彩でした。
    (私の中では、なぜ?長野へ行くことがそんなに覚悟がいることなの?そんなにハードルが高いこと・・・?今までより、ほんの少し頑張れば叶うことなんじゃないのかな?・・・まるで彩の気持ちがわからないでいました)

    同じ日の夜、コーチから私は電話で言われました。「はっきりと申し上げます。彩さんは自分の気持ちに蓋をして生きてくるしかなかったんです。本当は、もっとテニスをやりたいって思っているのに、外的な条件により、無理だと自分で決めてしまっているんです。その条件のひとつは、お母さんにこれ以上の負担や迷惑をかけたくない。ということです。弟(翔)が勉強が出来ないのも、悪いことは全てお母さんのせいだ。と家の人は言っているようですね。・・・・略」

    他にもいろいろなお話をされたのですが、よく覚えていません。心がえぐり取られてしまいました。

    これから先のことはまるで分かりませんが、彩が自分で決めたことを応援したいと思います。
    急速に人間関係が深まっていくことに対して、私は不安があります。コーチは「無意識の領域に居る本心の解放を確立したいから、彩に頻繁にメールなどをさせていただきますが御許しください」とおっしゃいます。

    私が子どものころ、自分が尊敬する人を親が少しでも疑ったり、少しでも悪く言ったときの気持ちを私は鮮明に覚えています。だから、私が彩を見るみかたを間違えないように・・・

    どうして、こんなに気持ちが揺れるんだろう・・・

  2. kin より:

    私もちょうどこの頃、我が家での出来事の中で、色々なこと思い揺れていました。おばあちゃんの認知症が分かってから、色々な不安の中にいます。そんな中で、今までとは又違う意味で色々な思いが浮き雲のようにわいてきたりしています。おばあちゃんを通して・・・人間って色々な人、家族や友人、近所の人など色々な人と繋がって生きている・・・関係性も様々・・・。だけど、自分が何者か・・・、私はこうある・・・こうありたい・・・という、自分は○○だと言う、その基盤が不安定だと、人との繋がりもその意味も又違って来てしまうということ思い、おばあちゃんの周りの人もおばあちゃんの何とどう繋がっていっていいのか不安の中にいるということ思いました。そして、色々な人や事との関係が稀薄になってきていて、おばあちゃんにとっておばあちゃんの中にある過去の人だったり、出来事だったり、物だったりの繋がりを頼りにしているおばあちゃんとかみ合わなくなってしまったりの時間のなかで、「今」を共有できる瞬間がどんなにありがたいことかと思っています。お風呂やだな言うのですが、お風呂はいると「気持ちいいね」と言っています。私も「お風呂あったかいね」言えます。外に出て動くと繋がってきます。「紅葉だね、秋だね」季節を実感出来ることがこんなにもありがたいなんて。朝、「寒いね」水、「冷たいね」・・・「鼻水出ているよ」こんな些細な会話、通い合いがとってもありがたいです。この頃おばあちゃん見て思っています。身体を動かしたり、自然の中に身を置いたり、感じたりしていると、今を、自分の意識を起こしてくれる様に思います。おばあちゃんの「今」と私の今が一緒になるってこんなにもありがたいなんて。
    この頃のリトミックでも木島平小の音楽会でも思いました。「今」を生きる・・・子ども達や皆さんと一緒にリトミックで感じながら動かせていただけること・・・、歌や思いに響きあえる・・そんな瞬間に感謝でいっぱいです。そして、子ども達の「今」は、もの凄く深く自分の世界とつながっていくんだなと思っています。由美先生のリズム、音楽が身体に響いて、また色々に繋がっていくんだって改めて実感しまいます。先日のたかくんの工作も本当に凄いなと感動しました。由美先生、皆さん、本当にありがとうございます。
    分からないことばかりですが、ずれてしまたりしていますが、おばあちゃんの日々も意味があるって思ってきています。

  3. yumi より:

    「無意識の領域に居る本心の解放を確立したいから、彩に頻繁にメールなどをさせていただきますが御許しください」とおっしゃいます。」

    言っている意味が、どういう事なのか。
    コーチがどういう大人なのでしょうか?そのことの見極めは大切です。尊敬と洗脳は裏表です。それを見極めるのは親の感性でしかありません。多恵さんが、このコーチに任せたいと思うのなら、おもいっきり自分は離れればいいと思います。

  4. tae より:

    いろいろな面でカルチャーショックを受けています。
    コーチのおっしゃる筋肉や力の方向と移動の話しや、ストレッチのことはチンプンカンプンで、翔にきいて、また分からないことは、コーチにきいて・・・と行ったり来たりです。
    連盟の中の話しは私には、まるっきりわからないので、頭の上を素通りしていきます。

    最初は、土足で家の中にドカドカ入り込まれるような感覚があって、私が嫌で困っていたのですが、このところ、家の人たちが・・・どうして、あのコーチはあんなに人の為に動くことが出来るのだろう・・・と口ぐちにいうようになりました。

    彩が話してくれたことで気になることがありました。
    「コーチがプライドの話しをしてくれたんだよ。選手時代にアメリカのコーチに出逢って、どうしてもこのコーチの指導を受けたいって思ったんだって。それでその人が”kiss my shoe” って言ったんだって。それで、ひざまづいてそうしたんだって。そのアメリカのコーチが自分を全部否定しても、それでも全部受け入れて指導を受けたってことだと思うんだ。」

    彩は、学校の部活がない日は、とっとと電車で長野に来て、西和田のテニスコートへ行きます。彩、楽しそうです。西和田がとれない時には、千曲市とか、城山とか、あちこち行きます。
    最初は申し訳なくて、必死で送り迎えしていたのですが、仕事の都合がつかないときなどは、三輪や、富竹でちょうどレッスンを受けている人がいて、職場まで連れてきてくれたりします。これも、本当に不思議なご縁の中で、テニスが出来るように助けていただいています。

    私が直接コーチをみると、いろいろと気になることがあります。
    彩を通して、コーチをみると、不思議とテニスをやりたいことしか出て来ないです。

    うううう・・・感性を磨きたいです。

    この先、どうなるのかまるで分からない不安があります。
    でも、今を精一杯。・・・よし、私、離れよう。

    ・・・・ふううう、やっと覚悟できた気がします。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.