何かがちょっとだけ違う今年のクリスマス会
tae | member, tae, 未分類16 12月 2011
25日は職場のクリスマス会です。
クリスマス会は、年に一度くらいご家族もお誘いして、入居者の皆さんと共に楽しい時を過ごしていただきたいという願いのなかで始まりました。
私は行事の係なのですが、毎年この時期になると調整が間に合わずどうにも焦ってしまって、泣きが入ります。
でも、今年は何かが違います。
11月にミーティングをした時、ヘルパーさんたちが、ランチ、飾り付け、プレゼントなど係を決めて、動こう。と決めてくださいました。12月になったばかりのある朝出勤すると、ツリーやオーナメントなどで、2階がクリスマス色になっていました。
「なんだか、うきうきする」 と入居者の女性が、両手をほっぺにつけながらおっしゃいました。
先日入居者のKさんとHさんが「ちょっと相談があるんだけど」と来てくださいました。「私たち、毎週歌の会やっているでしょ。それでね、クリスマス会で私たちも発表したいのよ。Hさんのご主人がね、また一生懸命伴奏してくださるのよ。ぜひ、聴いてちょうだいよ。練習してるからね。」すごいと思いました。Hさんは、高校の音楽の先生でした。動脈の梗塞により失語症と右片麻痺で苦労だと自分でおっしゃいますが、毎日毎日お部屋でキーボードを弾かれていて、時々私もきかせていただいて、癒されています。Hさんのこの頃のニコニコは、そうだったのかあ・・・とふっと思いました。
ヘルパーのMさんは「ねえ、もっちー、昨日宿直だったから、クリスマス会のプレゼント全部ラッピングしといたよ。それでさあ、もっちー何かドレスある?私もYくんとデュエットして発表することにしたんだよ」Mさんも楽しそうです。
施設長のHさんに「ヘルパーさん方が細かいお仕事も全部やってくださったり、ご入居者との連携もとってくださっていて、クリスマス会をつくっていってくださることがありがたいです。なんだか、今年はいろいろと楽しくてうれしい。」と言うと、「米持さんは、自分の仕事やってね。謝礼とか、費用の関係とか、参加者のとりまとめとか、事務局の仕事。お願いね。」と言ってくださいました。そうか・・・「自分の仕事」かあ・・・・。
就職してから、いろいろありました。最初は人間関係がうまくいかずにつらく感じることもあり、なかなか自分の仕事を人と共有することが出来ずにいました。本来私の仕事は、ご入居者が安心して生活できるように必要なお手伝いをする、ということで、それは、職場のスタッフがチームとなって働かなければ出来ないことでした。今、ほんの少しずつですけれど、チームの仕事の一部を自分の仕事としてさせていただいていることを感じることができます。このところ、信じること、が、やっと自分の中にすーっと入ってくることがあります。職場の仲間を信じて、委ね委ねられること。ありのままの自分で、自分の仕事をさせていただけること。
リトミックの中でみせていただいていること。由美先生が受け止めてくださること、絶対の愛を感じているから、どんどんと自分をだしていくこどもたち。どんどんと拾いあげて、繋げていらっしゃる由美先生。リトミックの先生方のチーム力。ずーっと憧れていながら、この年末にきて、ふーっと自分の中に入って来たことは・・・「信じること」でした。そうしたら、心がふわっとしました。母の会で皆さんとともに学ばせていただけることも本当にありがたいです。
まだまだ、右往左往の毎日です。本来の目的よりも、自分の仕事の評価が気になることもあります。そんな時、ふっと天使がささやいてくれるときがあります。「学習課題は何ですか?ずれていませんか?」・・・と。
「私、やります!」そういう会は本当に居心地がいいですね。「なにか、やらせてください」では少し意味が違うんです。そういう事を感じます。
職場で、何かのお仕事のニーズに合わせることが出来たらと思ったり、誰かのニーズにそっと寄り添うことが出来たら・・・と思うと、余計な事をいろいろ考えてしまって、曖昧な反応になってしまうことがあります。
私はこう思うけれど、どうですか?というところになかなか勇気が出せないって思っていました。でも、勇気とかじゃなくて、信じることが出来る仲間の中では何気ない会話でも、そういうことって自然にたくさん出てくるものなんだなあ。と感じる日々です・・・
会社の管理者の中には、役職で呼んだ方が、責任者も、その部下も自分の立場の意識が持てるし、けじめにもなる。という人が出てきました。私が就職した6年前は10人ほどの会社でした。社長からも部長からも、「社員は自分で考えて動きなさい。トップダウンで動く会社ではありません。」と言われたので、私は今でも社長も部長も○○さんと呼ばせていただいています。この頃やっと気がついたのですが、役職で呼ばないということは、仕事上、大きい声の人の言うことだけを拾うのではなくて、小さい声の人のことも、拾おうとしてくださっていたのだ。同じ土俵で、「私はこう思うけど、あなたはどう?」って対話できるような環境があったことにやっと気が付きました。