加減を知る事
yumi | member, yumi7 2月 2012
日曜日T先生に誘われてライブに行った。4つのグループが出ると言う事で、久々のライブの感覚を楽しんでいた。最初の年配グループ、高齢の皆さんが多いのに頑張ってる感じでそれなりに応援したくなる感じだった。だが、やりたい気持ちはわかるが、曲が多すぎる。もういいよ、やめて と思ってしまった。おまけにグループが変わる時のMCのちんたらしている事。説明はいいから、曲聴かせてよ!3つめのグループが始まったところで既に1時間押し。
もう限界!!でライブハウスを出てしまった。
決して演奏が悪い訳ではない。
でもあんな演出だと、せっかくのものが台無しになってしまう。
一つがよくてもだめ。まわりの様々がうまくかみ合って、ちょうどいい加減ができたら、もっともっと何十倍もよくなるんだという事を思う。
小野寺さんが創る舞台は、隅々の小道具に至るまでいわゆる加減が良いのだと思う。だから心地よい。もっともっとと、みたくなる。
多分料理も一緒。人数分ちょうどの量を用意することも、大切な演出。ずっと母のところに寝泊まりしている沙央里と千恵里が、「おばあちゃんはたくさん出し過ぎ」と家に帰ってきては言っているので、今日ちえりの誕生日に、私が夕飯を用意した。最初母は、「これじゃ足りないでしょ?何か用意する?」と動き出そうとするのを「いいから座ってて」とじっとしてもらった。最後に皿の中身が全部きれいに片付いて、もうすこし食べられるかな?だと、食後のケーキも程よく完食できる。
そこで母に一言「ね、みんなきれいに終わると片付けもらくだし、つくる方もうれしいでしょ。朝また同じもの出さなくていいから。」
3日の鍋の買い物は多すぎました、いい加減だった、あまり考えてなかった。
田中先生や由美先生の忠告もいい加減に聞いてました、こんなことだから同じことを繰り返してしまうんだと思います。
たくさん残してしまい、すみませんでした。
人はいろいろな加減のなかで生きているんだなあって思います。子供たちはけんかしながら手加減、遊びながら関わりながら人との距離の加減を覚えていく
子供が親によって亡くなってしまったりするいろいろな事件もこの加減がわからなくなってしまうからなのかな。
聴くこと やっぱり自分のなかにしっかり聴く耳がない
思い上がりがあるからなんだと思います。
私こそ加減を考えず、3日の買い物からも、根底で多ければいいと思っていることの表れであったと思い、繰り返してしまっている毎日を思います。
人生に表れている自分を思い、いつもいつも皆さんの身体、心にも影響してしまっていることも思って、本当に本当にすみません。
知って覚えて動かなければ何の意味もないということなんですよね。反省してばかりでも進まない。何も出来ていず、中身のない自分思います。一つ一つのこと見直して行きます。
うちの母もいつもたくさん作り過ぎます。
ことにご飯に関しては、足りないといけないからといつも余計に炊いて結局余ってしまい・・・困ったものだと思ってました。
ところが私も同じだと思いました。
おとといから貴也はハワイに行っているのですが、いつも通りに作ってしまいたくさん残ってしまいます。母のこと言えないなー、加減を知らないなーと反省。
そして同時に作ったものをきれいに食べてもらうのはとてもうれしいことだなーと感じました。
いつもは時間かけて作ったものがあっという間に終わってしまい、やれやれと思っていましたが、いざ作ったものがたくさん残ってしまうとすごく悲しい気持ちになり・・・・・
作ったものを食べてもらえるってありがたいことなんだと実感しました。
いい気になって作り過ぎないように気をつけます。
先日は本当にご馳走さまでした。加減を考えずにただ持ちこんでしまい、もっとお買いものしてくださる方のこと想像したり、声かけ合ったりできたら、少し違っていたのに。いつも、自己中で想像したり思いやる心が足りないと反省しています。皆さん、ごめんなさい。
そうだ。今度は、リトミックフェスティバルです。お茶やお菓子、いい感じに用意できたら。フェスティバルで先生方やスタッフの皆さんは、ぎりぎりのところで頑張っていらっしゃると思います。だから、ほんの一瞬ホッとできる場所を、良い加減でつくれたら・・・。そうしたら、嬉しいなあ。と思います。
私、おいしくいただいてばかりで、皆さんのお仕事ぶりにみとれてしまい、あっという間にお料理もお片づけも済んでしまって。それが、本当に心苦しく思っています。
加減と言えば、人との距離に右往左往しています。知らないうちに相手の領域に立ち入ってしまったり、そんなつもりなかったのに傷つけてしまったり・・・。人と逢うことに恐怖を感じることも正直なところあります。
ただ、そんな自分のだめさが見えるほどに、大切なことをみつめていらっしゃる、田中先生、由美先生、はじめお鍋の皆さんがいることを思うと救われるんです。本当にありがとうございます。
彩のテニスの話だって、皆さんにぶちまけたら、楽になったところがありました。暴露したことで初めて見えたこともありました。振り返るべきは自分の姿でした。