学校は楽しいところです。
tae | member, tae, 未分類23 2月 2012
ヘルパーの勉強のため、週1日の学校通いが始まりました。
今のところ心身ともにしんどいのですが、それ以上にいいことがあります。
行ってみると、今まで自分の勝手な思い込みの中で動いていたことが明確に浮き上がったり、今まで制度とか、計算式とか、”HOW TO” でしか覚えていなかったことを、歴史的な背景を学んだり、制度に至った願いなんかを知ることによって、まるっきり意味の違ったものになって来て、希望がみえてきます。
もうひとつ、良いことが、クラスメイトがいるんです。宿題の問題やレポートが山盛りなんですけれど、先生は、「答えは教えません」とおっしゃるので、お昼休みとかに、クラスメイトとやるんです。家での介護の話しとか、職場の話しや自分の周りのことを引っ張り出してやります。私は、考え方道のりが見えなかったり、どうして?が分からない時が一番苦しいのですけれど、やり方が十人十色のクラスの中で、自分が考え付かないようなやり方や道順を教えてもらったり、話しているうちに、自分がどこでつまづいているのかが分かったり、ああ、そういうことなのかあ。と嬉しいびっくりがたくさんあります。(追試も乗り切れそうです)
ひとつこのことを心において受講しよう、ということを自分なりに決めました。それは、人との距離に気を配る。ということです。1回目の授業で一番思ったのが、介護は自分じゃなくて、他者へさせていただくもの。だから、ヘルパーが決めつけたり、必要以上に準備しない。目標は自分らしく生きるために必要な部分でのお手伝い。ということでした。
職場では、相変わらずクレーム処理がいっぱいあります。「たらいまわしにされた」とか言ってこられると、元の部分がみえなくなったりします。現場の方とど真ん中の部分を探してお話しようと思っても、どこか、どこかで自己防衛機能が働いてしまって、必要以上に踏みこんでしまったり、うまくいかないところが出てきます。これも、人との距離に関係するなあ・・・と思いました。
正直に書くのも気が引けるのですが、なんで、私ばっかりこんなことしなきゃならないの・・・という気持ちを拭えずにいました。だけれども、ふーっと深呼吸した時、しなのキャンパスで、リトミックで、学校で、初心の会で、普段の生活の中で、どれくらい田中先生や由美先生に楯になっていただいて来たんだろう。と思いました。しかも、さらっと。(ごめんなさい。その裏にどれだけのご苦労があったかと思うと、本当にありがとうございます)皆さんにお世話になって生きてきていることを思ったとき、ああ・・私・・とものすごく恥ずかしくなりました。中野さんのかがみのお話も、そうだあ。と思いました。
自分はどうなのか・・・というところでした。
このブログ読んでテープ起こししている川田先生の言葉が思い浮かびます。
先生が中学の時に出会ったソクラテスの言葉
”大切なのはただ生きることではなくてよく生きること”
”反省のない生活は人間の生活ではない”
「ことに人前で飾ってその陰で自分を安楽と過ごさせようとする隠れたエゴイズムを持っている自分
仲間と一緒にといいながら自分のことを第一に考える私です。」 とおっしゃっています。
それ聞いたとき、わあ~自分だあってぞくっとしました。
「よく生きる」ってどういうことだろう?
このブログ見たときに多恵さんはきっと「よく生きている」んだなあって思いました。
年中クラス26人を3人で担任していましたが、産休に入った先生の変わりに入っています。
Rちゃんに「美加先生は大好きだけど、K先生はだいっ嫌い」って言われてしまった、一番言わせちゃいけない言葉
K先生が主担任としてRちゃんとの関係がうまくいくように
きっと私の中に、自分の言うことをきく子がいい子、思い通りにしたいと思うK先生のことが受け入れられない、そんな思いがあるからなんだと思う
自分自身の問題なんです
先日から感じているのですが、川田先生のテープを起こしながら、何かを感じている皆さんであるように思います。
私も川田先生のところにお邪魔するのは、だいぶご無沙汰していますが、行ってお話を聞いていると、なぜか自分の状況を見透かされている気がしていました。たくさんの名著の解説の中に、自分の生き方を振り替えよと言われている気がしました。
うまく行かない理由が自分の内にあると言う事は、頭でわかっているつもりでも、結局自分自身に言い訳したくて、そういう自分に赤面しながら向かいあって、でも川田先生はそれでいいんだ、とおっしゃってくださる。
饗宴もソクラテスの弁明も自分の中に妙にすとんと落ちたのは、やはり川田先生が生きた言葉で解説してくださったからだと思います。
私も、皆さんが時間をかけて起こしてくださっている原稿にもう一度向かってみようようと思っています。
ありがとうございます。
川田先生のテープ起こしをさせていただき、聴かせていただいていると、全てを包み込んで下さる川田先生に癒されると同時に、常に「あなたはどうなのですか?それでいいのですか?」と問われているような気がして・・・・
そして、すごく大きな間違えをしていた自分に気が付きました。
以前からなかなか話を聴いて下さらない患者さんのMさんに対して、「どうして話しを聴いて下さらないの。」と悲観していた私。でも違っていました。Mさんが悪いのではなく、対話ができてない私に問題があったんだと。
私のMさんへの話は、自分の思いの押し付けだったのです。これじやMさんも聴く気になれないのも無理ないなー・・・・
おととい来院されたMさんに、まずはそのことを謝り、Mさんの思いを聴いてみました。そしたらほんの少しだけですが話しをして下さいました。
やはり私自身の問題でした。
相手の人どうこうの前に、自分の姿をみつめることの大切さを痛感しました。
それにしてもルソー、カント、フィヒテ、ヘーゲル、そしてドストエフスキーにしても100年、200年前のものとはとても思えません。今と繋がっているなーと感じました。
川田先生のテープ起こしをさせていただけること、本当にありがとうございます。