勘弁してくださいよ
yumi | member, yumi15 6月 2012
紀代美ちゃんからのメール
「今日、教育課程の事前の授業をしました。
課題はたくさんあるけど、やらなければいけないことははっきりしてきました。
だれが読んでもわかる指導案を「書く」ことです。
書きっぷりがへたくそすぎるということが、最大の課題だということがわかりました。
最小限で、なんて面倒くさがっていてはだめなんだ・・・
今日の5年の授業のはじまりに、「ゆうやけこやけ」を歌いました。
係の子の拍に合わせて、子どもたちは4拍子で歌い始めましたが、
担任は2拍子で歌い始めて、速さがずれてしまいました。
子どもたちの4拍子で歌ってみたあと、「どっち?」
歩いて歌ってみました。
まず4拍子で。
「どんな景色が見えた?」・・・「????」「うーん・・・」
2拍子で。
「カラスが飛んでった」「ゆうやけが見えた!」
私も一緒に歩いてみて、ふたつの違いをはっきりと感じました。
4拍子だと、前だけ見てぐんぐん歩いていて、景色は見えませんでした。
2拍子になると、視線が少し上がって、まわりの景色を感じました。
すごく納得しました。
指導主事から、リトミックは「思いをもって表現する」ことと正反対な活動である。
だから、リトミック的な要素を取り入れることが、思いをもって表現することにどうすれば結びつくのか、
読んだ人には理解できないと言われました。
話を聞いていても、何だか納得できなくていました。
その後の研究会のお話の中で、
リトミックを単に音楽に合わせて動くことであるという理解がされているからだということに気づきました。
教頭先生にそのことを伝えて、
研究会のあと、あわてて主事に話に行きました。
「ゆうやけこやけ」で自分ではすごく納得したことが、
実際に歩いてみなければわからないのかもしれない。
でも、この違いはものすごく大きいと思いました。
音楽を立体的に感じることができるかどうか。
主事の言っていることが「研究」だとしたら、音楽はとってもつまらないものだと感じました。
何だか子どもたちの方がずっとすごいぞと感じました。
愚痴のようになってしまいました・・・」
この主事に会わせてくださいよ。せっかく現場で頑張っている先生方が、リトミックを否定されたら進めない。
泣きたいです。
一晩ねて、冷静に考えればなんて事はない。自分のやれる事やればいい。紀代美ちゃんはそれでも、やる と。教育課程で書く内容を工夫してみると。
誰がなんと言おうと、その人を否定していたら何も始まらない。まあ、でも愚痴ってへこんで、結局自分の中に解決を見いだしていくと言う事です。
レスがなくても気にしません。
今日もリトミック、本当にありがとうございました。
カノンの時、よーく聴くことって、なんだか気持ちいいなあ。と思いました。ミスドでのお話の中で、カノンは過去のことも、今のことも、未来のことを予想していくことにも繋がっていくこと・・・私はちょっとの量でいっぱいになってしまうけれど、練習して、器の容量が大きくなるといいなあ。と思いました。吉田までの道で、英検のヒアリングのCDを聞いてきました。あれ?これは、カノンみたいだなあ。と思いました。じゃあ、試しにと思って、CDを追っかけっこして言ってみました。それで、あとから出て来る質問の内容を予想しながらやってみました。
リトミック、いろんなところに繋がっているんだなあ。と思いました。どんどんと凝り固まっていく自分の頭と心と身体を振り返りました。
そういえば、中野のリトミックのお母さんたち、学校の先生が多いです。ともくんちも、たかくんちも、まなちゃんちも、あっ!美加さんも!由美先生のリトミックを求めている方々。(もちろん私たちも。)自分や子どもたちのため、ということもありますけれど、由美先生のリトミックを学ばれている先生方が、現場で子どもたちにその光を放たれていること。本当にありがたくて、頭が下がる思いでいます。
私、自分を振り返り、ハッとしました。
本当に大事だと思うことで勝負していない自分がいます。
たとえば、会社の植栽ひとつにしても、「毎年、ちょっとずつ大きくなるお花を入居者が楽しみにしている」ということではどうしても予算をつけてもらえなかったので、FM長野のキャンペーンに当選して苗をいただいたので、コマーシャル効果がある、ということを言ったら、すんなり予算つけてもらえたり・・・。そういうところで、気持ち悪い思いがありました。
ブログを読ませていただきながら、横道に入ってみたり、本題から逃げている自分がどうしようもなく恥ずかしくなりました。
恥ずかしくなりながら、よし、という思いも出て来ました。
今すべき事がなにか、は自分にとってとても大きな問題です。他の会議ではお先に失礼します、や今回は出席できません が通用するけれど、私にとってリトミックに関するすべてのミーティングはそれが許されない。だけど同じものを他の人に求められないところで揺らぐんです。
誰もが一つはそういうものを背負ったらいいと思うんです。もしどれもこれも責任が中途半端だとしたら、一つ逃げられないものを自分の中にどかっとおいてみたらいいのだと思います。
なんて、これも結構愚痴の部類かな。
今日も本当にありがとうございました。
この頃、改めて思います。私、頭から身体から硬くって困り者であるのに、一緒に皆さんと学習させていただけること、由美先生、たか君達、皆さんに感謝してもしきれない程であると思って、本当にありがたいって思います。
ふっと、リズムに身体がのったり・・・、今日は、隣は多恵さんやたか君のお母さんだったのですが、ふっと、リズムの間で隣の方に繋がらせていただけた時、なんて嬉しいんだろうと思います。
聞かせていただけるということ、本当に嬉しくて、そんな自分になりたいなって思います。本当に由美先生のリトミック、光のようにリズムが流れていて、そのなかに大切なことたくさんあるんだって思います。子どもたちは、感じて聴いているから、大切なことも感じているってことなんだと思い、本当にすごいって思います。
竹を持たせていただけるのも嬉しいのですが、竹の音、先週の竹と、今日の竹と、竹と竹が合わさる音も、きかせていただきました。音って本当に不思議ですね。うたた寝してしましい、先程、食器を片付けながら、水の音、普段は当たり前のようにいましたが、心地いいなって思いながら、嬉しくなりました。
本当に今日もありがとうございます。
Reply、ガツンと響きました。
振り返ると・・・お役に立てたら・・・なんておこがましいことを思っている自分がいないだろうか・・・
本当のところは、自分が望んでしていることなのに。
入居者のために・・・なんて聞こえは良いけれど、それは、どこか責任を入居者に押し付けているようなものかも知れません。自分から発することの責任は自分にあります。なぜなら自分がそうしたくてしていることだから。
自分でちゃんと考えることの大切さ。感じます。